「あっ、音楽が変わった!」と感じたのは、国連が提唱する「国際青年年」に協力するため全国の民放ラジオ局が力を合わせライブ音楽イベントを行なうことになった1985年6月15日のことだった。それまで絶対に音楽イベントには貸さないといっていた国立競技場を借りることが出来るという。WOW!チャンスだ!
・・・というわけで僕が制作総責任者となり、松任谷正隆さんご夫妻、小田和正さん、加藤和彦さん、吉田拓郎さん、大滝詠一さん、坂本龍一さん、武田鉄矢さん、佐野元春さん、サザン・オールスターズ、さだまさしさん、信藤三雄さんはじめ多くのミュージシャン&クリエイターの力をお借りし「オール・トゥギャザー・ナウ」というイベントを行なった。自分でも強く記憶に残る素晴らしく楽しいイベントであった。その時再結成してくれたはっぴいえんどのステージに細野晴臣さんがバック・コーラスのため仕込んだ若者たちが大変に新鮮、そしてすがすがしかったのだ。
イベントが終了してから彼等の名前をきいた。「シ・ショーネン」、「ピチカート・ファイヴ」、「ワールド・スタンダード」など細野さんを慕って集まっている若者たちだという。それから何年か経って東京渋谷周辺にファッション性の強い音楽が出現した。あの若者たちが中心となって作り出した新しい音楽の流れだった。洋楽と邦楽がうまく融けあい、それまでなかったおしゃれなサウンドで「渋谷系」とよばれた。その種の音楽を聴く若者たちの間でソフト・ロックとよばれるジャンルの音楽が流行っていて、ロジャー・ニコルスとかカート・べッチャー、ゲイリー・アッシャーとかが大人気だったということも知った。
我々の時代は、ロジャー・ニコルスよりも相方のポール・ウイリアムスの方が知られていたし、カート・べッチャーやゲイリー・アッシャーなんて、よほどのポップス音楽ファンでなければ知らない名前だった。僕もゲイリーは。ホット・ロッドのお兄ちゃんというぐらいの感覚でしかなかった。
しかしいま、若い人たちの探求心が、我々の世代がほとんど無視してきた音楽に光をあててくれる。ソフト・ロック・ファンが多いということも嬉しいことだ。50年代から60年代中盤にかけても、この種のグループはたくさんいた。1959年春に「カム・ソフトリー・トゥ・ミー」の大ヒットを放ったフリートウッズがこのジャンルでは最初の人気者ではなかったかと思う。アソシエーション、ブレッド、ハーパース・ビザール、モジョメン、ボー・ブラメルス、パレード、メリーゴーラウンドなどなど・・・アメリカ西海岸と時代の香りがする素晴らしいグループがたくさんいた。

そんなソフト・ロックのグループの中でもこのザ・ミレニウム(ジャケットをみるとミレニュームとなっていますね)はほとんど目立たなかったグループだ。彼らのレコード、発売当時、アメリカでも日本でもヒットはしなかった。発売元のCBSソニーもあまり期待していなかったのか予算がなかったのか、同社のA&Rディレクターだった石川さんがご自分でライナーを書いているぐらいだ。彼に「この『霧のファイブ・エイエム』いいですよ・・・」といわれ、聴いてみると確かに悪くはない。そこで僕も担当の音楽番組で数回オンエアしたがリスナーからの反応は全くなかったと記憶している。石川さんはS&Gなども担当された大変に耳の良い洋楽A&Rマンだった。

そんな曲がそれから10年以上も経って、東京渋谷界隈で流行るなんて・・・ホンと嬉しい世の中です。まだまだ、良い曲いっぱいあると思うから、若い人にはぜひぜひオールディーズとかクラシック・ロックとかよばれる時代の音楽をどんどこ発掘してもらいたいもの。そういえば70年代初め「プレシャス&フュー」というスマッシュ・ヒットを放ったクライマックスっていうグループもいたね、彼らも良かった!いまやどうしているのやら・・・。こんな話をすれば、としよりの長話になりそう、ひと晩中でも出来そうじゃ、ねぇ、ばあさんや。あれ、ちがったかな?!