中学から東京の明治学院に通うようになって、当然小学校と違う友人達ができ行動半径も広がった。つまりそれまでの綱島中心の歩く行動半径から電車を使っての行動へと大きく変わったのだ。電車通学は綱島から東横線に乗り、田園調布で目蒲線に乗り換えて目黒まで、そこから都バスで白金の明治学院までの往復が僕の日課になった。それと日曜日に教会に行く事を学校で義務づけられ、こちらは横浜の指路教会という教会へ毎日曜日に通った。
小さい頃から乗り物好きだった僕は、電車に乗るだけで楽しかったし、よく一番前の運転席がみれる所に乗って運転手の一挙一動を見逃すまいと見ていたりした。ちょうどその頃従兄達の何人かがバイクや車を持つようになった。僕は当然のように彼等のラビットやメグロ、そしてシトロエンの2CVに乗せてもらいに親戚の家に行った。特に2CVは屋根の幌を空けて走る開放感がたまらなく何度も乗せてもらった。2CVは祖母の家のある保土ヶ谷ではルノーと共にタクシーに使われていて、時々祖母と一緒だとそれに乗れたのだが、晴れていると運転手さんに言って幌を明けてもらったりした。
またその当時従兄の居る親戚の家ではJapan Timesという英字新聞を取っていて、そこによく外車の広告が載っていて、行くと必ずそれを切り抜いて家へ持ち帰った。本当に小さな広告だったが当時のアメリカの車は毎年のようにモデルチェンジをしていたし、GM、フォード、クライスラーと言った3大メーカーの他にもいくつかのメーカーがあってモデルも多かったので、それらの広告を見るのがすごく楽しみで、スクラップしてずっと取ってあった。それらのスクラップは後にカーグラフィック誌の5年分くらいと一緒に、親しくさせてもらっていたイラストレーターの穂積和夫さんに差し上げた。
中学の新しい友人達の中にも僕と同じように乗り物好きがいて、特に木内君と言う友人とは二人して良く自動車の話をした。1年のときにその友人と一緒にモーターショーに行った。確か日比谷公園だったと思うがそこで自動車にカタログというものがある事を知った。その時は子供だったせいか、いわゆるパンフレットのようなものしか貰えなかったが、実はもっと厚いカタログがある事をしり、それからは毎日のように都電やバスを乗り継いでカタログをもらいに、当時の自動車屋さんのメッカ品川、赤坂へと向かった。品川のトヨペットのディラーで最初のカタログを貰った時は嬉しくて、家へ帰るまで電車の中で何度も何度もそのカタログを見た。
最初は国産車だったのがそのうち赤坂辺りの輸入車を扱うディーラーへも行くようになり、一年遅れのカタログ等をもらうようになる。国際モータース、東洋モータース、他赤坂周辺には多くの輸入車ディーラーがあり、何度も通ううちに受付のお姉さん達も僕らを覚えてくれて新しいカタログをくれるようになった。確か一番始めに貰った外車のカタログはプリムスかダッジのものだった。そんなに厚くはなかったし日本語も入っていたような記憶があるから日本で作ったカタログだったのかもしれない。それに当時のアメリカ車は毎年の様にモデルチェンジをしていたから古いカタログはいらなくなったのだろうが、一年遅れであろうと僕らにとってはあこがれの外車のカタログだったから何度も何度も見返して楽しんだ。アメリカ車はその頃テールフィンが上へ上へとのびていた時期で、次はどうなるのだろうと新しく出るモデルを毎年楽しみに待っていた。
写真:プリムスの雑誌広告(上)1955年型(下)1956年型

元バーズのクリス・ヒルマンとハーブ・ペダーセンのジャパンツアー終了。
久しぶりにウエスト・コースト・サウンドを堪能した。
大人の味の出たヴォーカルのクリスと、素晴らしいリズムギターとハーモニーのハーブ。
二人のリラックスしたステージの心地よさが時間の経つのを忘れさせる。
次のツアーはこれまたベテランのジェフ・マルダーとの二人旅。また極上の大人の時間を過ごせそうだ。
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