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2010.01.28UP

横浜の文豪が、亡くなった。

さて、お立ち会い。

横浜の文豪、菊谷匡祐さんが亡くなった。今年にはいってから、いよいよもういけないようだと島地勝彦さんから聞かされていた。息子さんに髭を剃ってもらっているうちに、苦しむことなく息を引き取ったそうだ。素敵な人にふさわしい、いい最期だったと思いたい。

島地さんと一昨年の正月にジャカルタにゴルフ取材に行き、二番目に好きなシングルモルトはタリスカーというので意気投合、急速に親しくなり「タテイシさんにぜひ会わせたい人がいる」と紹介されたのが菊谷さんだった。「なによりも尊きものは友情である」が口癖の、島地さんは自慢したかったのだ、こんなすごい親友がオレにはいるんだぜ、と。

最初にお会いしたのは、島地さんが集英社インターナショナルの社長を退き、東京會舘で行われた「遅れてきた新人、島地勝彦さんを励ます会」の会場でだった。親友の旅立ちに、文豪は酔っぱらって、御機嫌だった。人の好さそうな、おじさんに見えた。実際、そうだったのだけど、話をすると、中身ははるかに見上げるようなインテリだった。

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それから3度、会う機会があった。1度目は、食道ガンが見つかった直後で、治療方針を詳しく説明してくれた。その時は、シングルモルトを呑み、パイプをふかしていた。

2度目にお会いしたときは、治療が始まっていて、酒も煙草もストップ。側頭部を指さして「ここがちょっと薄くなっちゃって」と見せてくれた。手持ちの煙草の葉を島地さんに全部、渡したとも言っていた。

しばらくしたら、島地さんから電話があり、文豪がパイプを再開するという。ついては自分のところにないので、タテイシさんに余分があるなら文豪に送ってもらえないか、とのこと。うれしい話だし、なにせ、件の煙草の葉は開高文豪ゆかりのブレンド。開高さんのいちばん身近にいた菊谷さんだから、私はすぐさま1缶、宅急便に載せたのだった。

3度目、つまり、最後にお会いしたときは、頭を丸めていて、聖のような姿でパイプをふかしていた。肝臓に転移しているので酒はやっぱりダメだった。「抗ガン剤の治療は、この嫌な感じがいつか終わると知っているから、なんとか耐えられるけど、そうじゃなかったら」と言っていた。血色は良く、患部も縮小しているという話で、先が見通せたような気がして、ちょっと安心した。

そして、昨年の12月、島地さんからのメールに「死を意識した年上の親友との会話は泣きそうになってしまいます」とあり、あっという間にそんなに悪い状態になってしまったのかと愕然とした。

1月19日昼前、島地さんからの電話で「今し方、文豪が亡くなりました」と知らされた。

なんとも素敵な人だった。やさしくて、穏やかで、ていねいで、いつまでも菊谷さんの話を聞いていたかった。そして、もうひとつの心残りは、一度でいいから菊谷さんとゴルフをしてみたかった、ということだ。

昨日、上大岡の西福寺で菊谷さんの告別式があり、見送りに行ってきた。おだやかに澄んだ、きれいな青空だった。合掌。

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猫の会の同人、後ろ姿のSM官能作家、館淳一さんと話をする島地さん。

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悲しいことはまとまってやってくるのだろうか。その前夜は、昔のBRUTUSの仲間、生田謙ちゃんの通夜に行った。私とたしか同い年だったと思う。お茶目なところのある、好いヤツだった。彼のはにかんだような笑顔を思い出す。生田君がだいぶ悪いようだということも年末に聞こえてきていた。最後に会ったのは、いつ頃だったろう。たしか誰かのお通夜の席だったように思う。謙ちゃんの冥福を祈ろう。

菊谷さんを見送った後の帰り道、館さんにツイッターのあれこれを教えてもらったので、私もひとつ、と先ほど、アカウントを開いてみた。ユーザー名は、to4zo。いなくなった猫のヒジカタクンにちなんだ名前にした。とりあえず、ひとつつぶやいた後、館さんをフォローリストに加えたところで、さて、次に何をしたらいいかわからない。

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画面を見ていても始まらないので、ログアウトして、ちょっとお昼寝。

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立石敏雄
1947年東京生まれ。雑文製造業者。早稲田大学卒業後、絵本の出版社、雑誌『BRUTUS』編集者などを経て、現在は雑誌『Pen』に「笑う食卓」連載中。著書に、雑誌連載をまとめた『笑う食卓』(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

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