2009.10.29UP
アメリカン・ヴォーグの編集長であるアナ・ウィンターはファッション界の女王と呼ばれ、
その社会的貢献や力量がすごいといわれている。
その彼女を中心に記録した映画、『ファッションが教えてくれること』を観た。
アナ・ウィンターは花柄の服に豪華な毛皮のコート、大きなサングラスというようなスタイルで
コレクション会場に現れる。
みんなの視線は一気に彼女に注がれる。

その中にアナと数十年間、イングリッシュ・ヴォーグやアメリカン・ヴォーグの編集を
共にしているクリエイティブ・ディレクターのグレイス・コディントンがいる。
クリエイティブな作業にたずさわる彼女の姿をスクリーンの中で見られたのが、
私にとっては至福のことだった。
アメリカン・ヴォーグのぺージをめくっていて、「あ、これは永久保存だわ」という
特集に巡り合うことがある。
そのページのどこかに小さくクレジットされている名前は、まちがいなくグレイスなのだ。
アヴァンギャルドで、どこかクラッシックで気品がある、
そのスタイリングと構成の素晴らしさに、いつも感嘆する。
実際に映像では、彼女の独り言のようなつぶやき、動きとともにひとつのテーマが具象化
されてゆく有様が映し出される。
9月号の候補として出来上がったものは、編集室の壁に次々とピンナップされてゆく。
ピンナップされたものが、ボツにされそうになり、採用されるかどうか
グレイスはいつも気にしている。
(映画の最後のほうで、OKになって、私もほっとしたけれど、、、)

私はどうしてもグレイスの生き方に惹かれてしまう。
それは何かの中心に位置して大きな力(権力や影響力)を発揮する人よりも
自分のフィールドで自分の創造性をフルに生かそうとしている人のほうが好きだから
かもしれない。
映画を発端に、ここからはいつものように、寄り道しますね。
なぜか私は昔のグレイスを知っているのです。


私が初めてロンドンのマイケル・チャオのスタジオでグレイスに会ったのは、1970年。
「この間まで僕の奥さんだったグレイスだよ。彼女はイングリッシュ・ヴォーグの
エディターをしてるから、いろんな人を紹介してくれると思うよ」とのことだった。
事実私は彼女のおかげで、ロンドンのファッション界の人たちと巡り合うことができたのだ。
上の写真で、私(左)と並んでいる女性は、同じくイングリッシュ・ヴォーグのエディターの一人。
どうしても名前が思い出せないのだが、彼女の旦那さんはミック・ジャガーの
『パーフォーマンス』という映画のプロデューサーだった。
それで、ホームパーティに招かれると、ピンク・フロイドのマネージャーとかエルトン・ジョン
とか、驚くべき人たちに会うことになった。
たった一つの糸が、あちらこちらと伸びてつながっていった。
そんなことでスタイリストとしての仕事とロック好きの世界が混然一体となった日々を
過ごすようになったのだ。
2000年に入ってから、「コルソコモ・コムデギャルソン」でグレイスを囲むパーティが
あった。
「Grace:ThirtyYears of Fashion at Vogue」(グレイス:ヴォーグでのファッション30年史)
という本の出版記念だったと思う。(この本は分厚くて高価だったが、引っ越しで行方不明に
なっている)
70の年代のグレイスも、パーティの時のグレイスも、映画の中のグレイスも、
着ている服はすべて黒だった。
私が名前を忘れたといった写真の女性のことを、映画に詳しい友人が調べてくれた。
『パーフォーマンス』のプロデューサーと結婚経験を持つイングリッシュ・ヴォーグのエディター、
というデータで現れた彼女の名前はマリット・アレン、映画監督のニコラス・ローグに勧められて
映画の衣裳に携わるようになったという。
ニコラス・ローグやスタンリー・キューブリックなどと仕事をし、英国アカデミー賞の衣裳賞受賞し
アカデミー賞にもノミネートされた。
その後、彼女はこのように生きて、2007年にはこの世を去っていた、、、
私は、調べてくれた友人に感謝するとともに、ここまで解明してしまうネットというものに
圧倒された。
ついでに付け加えると、グレイスも、マリットも、私も1941年生まれだ。
1968年、ニューヨークに行ったとき、ローズマリーというスタイリストが、
私を連れまわしてくれた。
いろんなファッション誌の編集室に連れていってくれたが、その時夢中でスナップした
膨大な写真のいくつかが以下のもの。
『ファッションがおしえてくれること』に出てくるシーンとおなじ空気が
流れているような気がする。ジャスト40年前だというのに。





