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2009.07.27UP

銀玉鉄砲。その頃、原宿は丸腰では歩けなかった。

銀玉鉄砲というブリキのおもちゃがあることを思い出して、検索してみたら、
現存していることを知った。

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この銀玉鉄砲、原宿で期間限定で局地的に流行ったことがある。
1960年代半ばだった。
セントラルアパートのデザイン事務所のある一室で、銀玉鉄砲で撃ち合いがはじまった。
最初はそれをみんなで眺めて笑っていたんだったろうか、、、、
一気に強力なウイルスとなって、次々と伝染していったのだ。
メゾネットの部屋では、階段の上下で、西部劇のように撃ち合う。
それはほどなく市街戦に発展して、けやきの並木の歩道で、交差点で、
しばしの撃ち合いがあいさつ代わりとなってきた。

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週末にはセントラルアパートの「ツイストパーティ」が定番だった。
私が所属していたこじんまりした事務所の一室に、クリエーターの人たちや、モデルさんたちが集まる。
大人の男性はワイングラスやウイスキーグラスを持ち、夜通しクリエイティブ論を繰り広げる。
背中が大きく開いたロングドレスの大人のモデルさんが、オーティス・レディングの
「ドック・オブ・ザ・ベイ」にあわせて身体を揺らしていたりした。
私は若輩組で、明け方までツイストを踊り狂った。
こんなパーティの夜にも、銀玉鉄砲が侵入してきた。
一度撃ち合いが始まると、床は真っ白になった。
紙製の弾丸の中には白い粉が入っていて、それは粘土質であるらしかった。
床にちらばった弾丸は歩いたり踊ったりしている人たちに踏みつぶされて、床にへばりついた。
パーティの後は大掃除をしたが、ひと時の熱狂の後始末は大変だった。
セントラルアパートと明治通りをはさんだグリーンファンタジアというビルの地下に
じゅうたんバーがあったが、噂を聞いて集まるお客が何百人となってきたため、
パーティはそういう店でやるようになった。
次第に私はパーティの主のようになり、パーティ情報は「表参道のヤッコさん」から
発せられることになった。
そこから渋谷の「オスン」というガーナ料理の店へと場を移したが、その頃が銀玉鉄砲の
ピーク時となり、ついにここも出入り禁止となってしまった。

その後、やっとのことで駒場の喫茶店をみつけ、今や完全にパーティの主催者となってしまった
同僚の紘子さんと私は、出席者に「銀玉鉄砲禁止令」を発した。
みんなお行儀よく踊り、飲み、食べているその最中、一人のとびきりかわいいモデルの女の子が
隠し持っていた銀玉鉄砲をポトリ、、、と床に落としてしまった。
それは同じブリキ製でも、銀色のおしゃれなものだった。
一同はっとしたのもつかの間、瞬時に銃撃戦が始まってしまった。
みんな、隠し持ってきていたのだ!
次の日、紘子さんと私は、喫茶店の大掃除に加わったのは言うまでもない。
クリエーティブな子供っぽさが許された時代の一過性のインフルエンザだったのかも。

上記写真は、カメラでシューティング中の私。
カメラは60年代に愛用していたヤシカエレクトロ35ではないので、
64年か65年、銀玉鉄砲のころ。
着ているダッフルコートはアートディレクターのお下がりで、メンズもの。
下記の写真は代々木公園。
まだ樹々はまばらで、小さかった。

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高橋靖子(スタイリスト)
日本のスタイリストの草分け的存在。現在も、広告、CMなど第一線で活躍中。71年、ロンドンで山本寛斎氏とファッションショーを成功させ、その後、「ジギー・スターダスト」期のデヴィッド・ボウイの衣装を担当。鋤田正義氏によるデヴィッド・ボウイやT・レックスの撮影をアレンジしたことでも知られる。著書に『表参道のヤッコさん』『小さな食卓 おひとりさまのおいしい毎日』『わたしに拍手!』などがある。
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