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伊藤政則さんといえば、ヘヴィ・メタルをいち早く日本に紹介したパイオニア的存在の音楽評論家。1979(昭和54)年、夏にふらっと出かけたロンドンでいくつかのバンドを見ているうちにアイアン・メイデンに出会った。
「それまでイギリスといえばパンク・ロックというイメージが強かったけど、いろいろ見ているうちにファンたちがハード・ロックって言わないでヘヴィ・メタルって言うのを聞いてね。これは新しい動きが来てると思って滞在をのばして、いろいろ取材しました」
帰国後、ラジオや音楽専門誌で紹介することとなり、1982(昭和57)年には、まだ目新しかったヘヴィ・メタルのラジオ番組『ロックトゥデー』(ラジオ関東)のディスク・ジョッキーを担当することになった。夜中の3時からだったが、これが密かな人気番組となる。もちろんこれは伊藤さんの選曲ばかりではなく、ユーモアあふれる熱い語りがあったからだ。ちなみに伊藤さんのDJ歴は21歳に始まる。1975(昭和50)年にオールナイト・ニッポンの2部でカッコマンというニックネームで番組を持っていたのだ。
「僕は中学のときから週に4〜5通は必ず投稿していたロックとお笑いの好き
なハガキ職人。岩手の花巻で育ったのですが、大阪の若者番組で読まれたり、地元では必ず読まれるちょっとした有名人で、そのうち岩手放送でアルバイトしたり、大学時代は新宿のロック喫茶で毎日のようにDJをしていました」
オールナイト・ニッポンでは最初アシスタント・ディレクターの仕事をしていたが、まずそのファッションが注目された。マキシコート、ベルボトム、そしてロンドンブーツが話題になり、また、そのおしゃべりが面白いということで1部のADをやりながら2部のDJに抜擢されたのだ。
さてヘヴィ・メタルは1984(昭和59)年ボン・ジョヴィなどのアメリカのバンドの登場によって女性ファンのあいだでも大ブレーク。さらにMTVの出現によってアルバムの売り上げが急速にのびた。
そんなある日、伊藤さんにレコード会社から「ローリング・ストーンズのキース・リチャーズを取材してください」と連絡が。これはストーンズの初来日のときのこと。よくよく話を聞いてみるとキース・リチャーズからの指名であった。それまで伊藤さんが取材したメタリカ等のマネージャーの「東京に行ったらマサ・イトウがいるから」という話から
そうなったらしい。長年の信頼から指名となった。その後もエアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼスなどのインタビューを手掛けている。
ところで、伊藤さんはここ10年間で毎年ラジオのレギュラーが4本と忙しいが、そもそもラジオ好きになったきっかけはおじいちゃんが聞いていた真空管のラジオ。
「これが感度のいいラジオでね。田舎だったから、ラジオから聴こえてくるロック・ミュージックやポップスが文化の入り口、そして自分がやりたい未来へのパスポートでしたね」
そして、こんな思い出も語ってくれた。
「うちの父親はキリンのびんビールをよく飲んでいましたね。飲む前に必ず魔法をかけるように、栓抜きで栓のところをやさしくコンコンコンとして。あれをやると子ども心に美味しくなるんだろうなってね」(※)
そう語りながら伊藤さんは、うまそうにラガーを飲み干した。
※王冠栓は強くたたくと泡が噴きこぼれたり、そそぎ口が傷つく恐れがあります。やさしく静かにお願いします。
この「本牧庭」は、焼肉激戦区・目黒で約20年の歴史を誇るお店。肉の種類の豊富さと、甘くも辛くもなく飽きのこないタレが魅力です。特に、ボリュームたっぷりでやわらかい「特上ハラミ厚切り180g」や、さっぱりとした味付けの「上タン塩」がおすすめ。さらに、サイドメニューも充実していて、例えば「タコチヂミ」や「チーズチヂミ」など、チヂミだけでも5種類。「クッパ」や「冷麺」などの定番メニューも美味しいですよ。
そして、もうひとつの魅力が営業時間。ランチタイムにもしっかりとした焼肉が味わえて、しかも朝5時まで営業。こういうお店は凄く心強いんですよね。
ちなみに、ぼくは仕事で年に10回ほど海外に行くんですが、その先々でも焼肉を食べます。また、海外のアーティストが来日して一緒に食事をする際にも、ほとんど焼肉屋に連れていきますよ。
うまい焼肉を食べながら、よく冷えたビールをぐびっ。これには、外国のミュージシャンたちも大喜びですから(笑)。

1953年岩手県生まれ。音楽評論家。日本のハード・ロック、ヘヴィ・メタル界のオピニオン・リーダー的存在。アルバムのライナー・ノーツや音楽専門誌での執筆、さらにミュージシャンの伝記など著書も多数。TVやラジオのレギュラー番組も10年以上続いている。