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1960年代前半。ラジオからはビートルズが流れ、ロックという音楽が日本を席巻しはじめた頃、当時高校生だった古澤良治郎さんが初めて手にしたレコードは、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」だった。なぜジャズだったのか? その理由は自分でも分からないという。
「当時はあんまりジャズを聴いている人がいなかったから、クラスメイトからは変わったヤツだと思われていたけど、俺はジャズがいちばんカッコいいと思ったね」
大学(国立音楽大学打楽器科)を卒業後、食べるためにはナイトクラブなどで仕事をし、ジャズばかりにこだわってはいられなかった。しかし、ある日古澤さんは“ジャズしかやりたくない”と決心した。
そんな一途な思いが徐々に実を結んでいき、30歳の時(1975年)に自身初
のリードアルバム「ユー・ワナ・レイン」(古澤良治郎カルテット+向井磁春)を発表。
さらに81年には世界的なハーピスト、リー・オスカーとの共演を果たす。以来、現在に至るまで日本のジャズ・シーンをリードし続け、またジャンルの異なるアーティストとのセッションや、映画・TVCMの楽曲プロデュースなどにも挑戦。ドラマーとしてのキャリアは40年を超える。
「俺はドラムしかやったことないからさ(笑)。これが仕事かどうかも分からない。でも、やめたいって思うことはなかった。全然飽きないもんね。『こういうふうに叩きたい』『こんなふうに叩いたら面白いんじゃないか?』っていうアイデアが次から次へと出てくる。だから、もっとうまくなりたいし、もっといいプレーをしたい。俺、これまでに最高のプレーをしたなって思ったことは一度もないんだよね。死ぬまでそう思うことはな
いだろうな(笑)」
さて、そんな古澤さんのお気に入りが「やきとり戎 西荻本店」。
古澤さんは西荻窪で暮らして40余年、そして「やきとり戎」もまた西荻窪で40年近い歴史を誇る。
「お酒の飲み方を教えてくれたのは、大学の先輩でもあるジャズピアニストの山下洋輔さん。当時、いつも一緒にお酒を飲んでいた山下さんに『ジャズマンってこんなにお酒を飲む機会が多いんですか?』って聞いたことがあるんだよ。すると山下さんは『お前ももうすぐそうなるよ』って。ホントにそうなっちゃったね(笑)」
そう語ると、慣れ親しんだやきとりを頬張り、ラガーをゴクッ。
こんなひとときこそが、60歳をこえてなお第一線で活躍する古澤さんの“元気の源”なのだろう。
19歳のときに仙台から上京して以来、約40年間ずっと西荻窪で暮らしているけど、この「やきとり戎 西荻本店」も同じく40年近く前からある老舗。今では恵比寿の「ガーデンプレイス」をはじめたくさん支店があるけど、この本店は雰囲気も味も昔から全然変わってない。それがいいんだよね。素材は国内の生産者から毎日仕入れて、スタッフがひとつひとつ手刺し。それを紀州備長炭で丹念に焼き上げる。とりもも、とり皮、砂肝などは1本90円。この値段も創業当時から変わらない。また、生のいわしをひらいてその中にじゃがいもを詰めて揚げる名物「いわしコロッケ」やポテトサラダなど、豊富なメニューも魅力。ビールにもよく合うんだよ。
ちなみに、仙台にはキリンビールの工場があったから、昔からビールはキリン。東京にくるまではビールってキリンだけだと思っていたしね(笑)。もちろん、東京で暮らす今でも、ラガーが好きだよ。

1945年仙台生まれ。ドラマーとして日本のジャズ・シーンをリードする傍ら、さまざまなアーティストとの共演や楽曲提供なども手掛ける。今後もライブはもちろん、08年4月18日には国立劇場で行われる「鬼太鼓座公演」にゲスト出演するなど、目が離せない。