「トノバン(加藤和彦さん)から電話がかかってきて、『ちょっとグラム・ロックみたいなのをやりたいんだけど、一緒にやらない?』みたいなことを言われ、まず、最初に原宿の美容室に連れて行かれたのかな。僕はグリーン、トノバンはオレンジ、ミカさんは赤のメッシュを入れ、僕にとっての最初のミカ・バンド活動は、髪を染めることでした。僕も、そういうものなのかなって何の抵抗もなく受け入れましたね(笑)。次に四谷の靴屋に行って、10センチのヒールのロンドンブーツをオーダー・メードしました」
高中さんは東京・大井町の出身、3歳上の兄がビートルズやベンチャーズを聴いていたことなどに影響され、中学生のときからギターを始めた。最初の頃はベンチャーズ、シャドウズなどのコピー。やがて高校に入ると渡辺貞夫氏の本を読みはじめジャズの道を模索していたが、テン・イヤーズ・アフター、レッド・ツェッペリンに衝撃を受けた。
「テン・イヤーズ・アフターはジャズもロックの雰囲気も
両方あって、すごく好きになって、アルビン・リーというとても速弾きのギタリストがいて、一生懸命コピーしましたね。中でも『ウッドチョッパーズ・ボール』って、後に自分のアルバムにもカバーしたことがあるんだけど、難しい曲があって、その曲をどこかの文化祭で弾いていたら、成毛滋さんとつのだひろさんに、『なかなかやるじゃん』って、目にとまったのかな。ある日、『一緒にバンドやろうよ。でも、君はベースだよ』って言われて、大好きな人たちだったので『やります。ぜひやらしてください』と(笑)」
高中さんは高校卒業後、成毛滋氏、つのだひろ氏に誘われフライド・エッグに参加しプロの道を歩み始めることになる。フライド・エッグはユーライア・ヒープやエマーソン、レイク&パーマーに影響を受けたロック・バンドで、オリジナル中心で英語の歌詞と高度なテクニックで注目されていた。
あるコンサートのとき加藤和彦氏がゲスト参加し、そこで高中さんは知り合いとなり、フライド・エッグ解散