


「独立にあたっては、お世話になったホリプロの大きな庇護はもうないという不安もありました。事務所には九州のイベンターを辞めて参加した岩熊信彦と僕と事務の女性という3人だけ。当時はパソコンもないし、やることはいっぱいあった。でも遅くまで仕事をしても飲みに行き、元気でしたね。自分たちで責任を持って新たな目標を作り始め、新たなスタッフも集まり、気がついたら26年経っていたという感じです」
ところで、高橋氏と浜田氏の関係は普段どんな感じなのだろうか? 「お互いどこかクールで、客観視するところがあって、特に浜田が冷静です。一心同体的な部分ももちろんありますが、僕はある時期から言うべきことがなくなってきましたね。それは曲作り、タイブにおいても、クオリティの高いところで勝負しているわけですから。時々自分の存在意義は何なの?と寂しい気もします(笑)」
高橋氏は、浜田氏がスケールアップし落ち着き始めた頃、バンドをマネージメントしたくなり、スピッツと出会っている。 「自分がバンドで失敗したせいか、バンドには憧れがあるんです。彼らが『ロビンソン』でブレイクする前後は、1982(昭和57)年の武道館や、浜田が1986(昭和61)年に『J.BOY』でアルバムチャート1位を取ったときと同じ喜びがありました。いつも僕は、バンドが同じメンバーで続けられることは素晴らしいと思う。当事者は、そんなことを言われても困るだけだと思いますが(笑)」
また、高橋氏は非英語圏の音楽も含めたレーベルを10年前から手がけている。これは自分がリスナーとして琴線に触れたポップスを小ロットでも世に送り出そうというもの。メジャーでは出せない優れたアーティストたちに思いをこめている。
そして、プライベートでバンド活動をし、今年で15周年を迎えている。それはクラプトンのコピーバンドで、年に一度のライブを楽しみにしている。
どこまでもミュージックマン。失敗は成功のもと、という言葉がなぜか浮かんで来た。コンコンとドアを叩く音、どんな思いで二人は目を合わせたのだろうか。