

その後の活躍を列記すると、1989年には『セルジュ・ゲンズブール・プロジェクト』。これはゲンズブール関連の映画祭の企画や、本とCDを連動させた『セルジュ・ゲンズブールとの一週間』の発売など。
映画の音楽監督では『マルサの女』以降の伊丹十三作品、台湾の候孝賢監督の『悲情城市』(ベネツィア国際映画祭金獅子賞受賞)、チャン・イーモウ監督の『紅夢』(ベネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞)など。
また、美術では2007年、東京ミッドタウンのオープニングに開かれた写真展『魂〜MICK ROCK meets 勘三郎』を企画した。
そして、今年で20年目を迎えるキリンラガークラブの音楽イベントも立川氏のプロデュースである。現在185回の開催、これまでビョーク、ジャミロクワイなど、このステージから巣立ったアーティストも多い。
「子どものときから生半可ではない数の芝居や映画を見て音楽も聴いていたから、仕事をし始めたときに年上の人たちばっかりだったけど、ついて行けたのも蓄積があったから。『何でお前そんなこと知っているんだ?』っていうところから始まって、『そんなものまで聴いていたのか』と。相手が共感してくれ可愛がってくれましたね。それと祖父の影響で宵越しのお金はもたないノリの江戸前感覚的なものもどっかにあってね、ヴィスコンティのとき自分の持ち出したお金の方が全然大きかったけど、でもそれは無駄じゃない。僕のプロデューサーっていう仕事の考え方なんだけど、トータルで今年も無事赤字にならずに終わったなと思えばそれでいいし、会社を大きくしたいとかの向上心はないの。とにかく、楽しいこと、格好いいことやって、何か美しいものがあって、いつもおいしいお酒と素敵な女性、レストランのいいところとクルマと、とりあえず自分の好きなツールが揃っていれば、人生っていうのは楽しく過ぎていくような気がするんだよね」
立川さんがこれまで最も影響を受けたのがフランスの作家ボリス・ヴィアンだという。