小学5年でロックに目覚めた

 小原氏は1951年11月東京・久ヶ原の生まれ。3歳からクラッシック・ピアノを始め、青山学院中等部(64年入学)で林立夫氏(MUSIC MAN第3回に掲載)と知り合いロックバンド、ムーヴァーズを、また高校のときに鈴木茂氏(MUSIC MAN第1回に掲載)も参加したスカイを結成する。この頃、同世代では高橋幸宏氏や東郷昌和氏、また4歳年上の細野晴臣氏と知り合う。ムーヴァーズ、スカイではヤードバーズやバッファロー・スプリングフィールド、アニマルズなどコピーし、マニアックなカヴァーをするレパートリーの多いバンドでもあった。
 小学校5年のとき、すでにホットロッド(アストロノーツなどインストゥルメンタルのグループのオムニバス)のレコードを買い、6歳上の兄の影響もあってFENを聴いていた。これは昭和30年代の後半のこと、かなり早熟なロック少年であった。

「兄がブラザーズ・フォーやキングストン・トリオなどのアメリカのフォークが好きで、でもパット・ブーンやチャック・ベリー、プレスリーなんかも聴いていました。

まだビートルズがデビューする前のこと。僕もいろんな曲を聴き、そこから何となく面白くなって、中学で林君と知り合ってバンドをやろうと。すぐにギターを始め、高校のときにベースがいないということで頼まれてベースをやるようになった。ベースをやる人ってだいたいこういうパターンが多いんです(笑)。プロを意識するようになったのは18、19歳の頃で、幸宏君と僕とでガロのバックをやるようになり、知り合いのつながりでフォーク関係のレコーディングや五輪真弓さんのコンサートを手伝い、そのうち段々忙しくなって、トノバン(加藤和彦)からミカ・バンをやろうと。トノバンはレコーディングの現場で知り合って、そこからですね」
 サディスティック・ミカ・バンドの初代のメンバーは加藤和彦氏、ミカ氏、ドラムがつのだひろ氏(短期間で脱退)、リードギターが高中正義氏、そしてベースが小原氏だった。すぐに高橋幸宏氏が参加する。小原氏はアルバム「黒船」制作後の1975年前半にミカ・バンドを退き、林立夫氏、大村憲司氏らとバンブーを、のちカミーノで活動を始め、また当時の人気アイドルのピンクレディーやシンガーたちのレコーディングで多忙を極めるようになる。


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