永田友純さん(コンサート・プロモーター)
撮影:堀清英 Kiyohide Hori
「この道は、父親も歩いて来た。熱い気持ちは、変わらない」永田友純さん(コンサート・プロモーター)

 さて、今回はプロモーター(※1)永田友純氏の登場である。
 ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデーナイトフィーバー」が話題になり、サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」で、またYMOがアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」でデビューした1978年(昭和53年)、コンサートのプロモーションを手がける会社、ホットスタッフが創業した。社長は23歳になったばかりの永田氏。青山にオフィスを構え、同年代のスタッフが5人の小さな会社だった。永田氏は中学のときにザ・ローリング・ストーンズの「TELL ME」を聴いて以来のロック少年。起業したのも日本のロックのコンサートをやりたいという強い思いからだった。
 また、永田氏の父、永田貞雄氏(※2)もまた浪曲の黄金時代からショービジネスの世界に身を投じ、外国人タレントの招聘、プロレス、サーカス、演歌などを手がけた日本の草分け的な興行師である。
 さて、ホットスタッフは今年で30周年を迎え社員数も70名を越える会社となったが、その道のりは決して順風満帆だったとは言えない。今回は日本のロック草創期を中心に、プロモーターという音楽人の生き方に近づいてみた。


※1 プロモーター(promoter/興行師、主催者):
[コンサート・プロモーターとは、芸能プロダクションなどからコンサートの開催依頼を受け、その実施を請け負う。また、そればかりではなく自分たちで新人を発掘しステージを提供する。仕事内容は、会場予約、場所やスケジュールが決定すると、各地での宣伝プロモーション、様々な許可の申請、チケット販売と管理、集計などを行う。制作、進行状況を見据え、コンサート当日は観客の誘導、警備、アーティストのケアも行う]

※2 永田貞雄(1904年−1993年):
[小学校5年で初代天中軒雲月に弟子入りし浪曲の世界に入る。1922年(大正11年)に独立し浪曲興業を行う。昭和28年日本プロレス協会を発足させ、ヒーロー力道山を育てた。また、ハリウッドスター、ケニー・ダンカンを招聘、ボリショイ・サーカスの大阪興業を成功させる。その後、当時ソ連のNo.1オペラ歌手、イワン・ペトロフ、フランスのシャンソン歌手、シャルル・トレネを現地直接交渉で日本に呼び、欧州の人気歌手、カタリーナ・バレンテ、ボビー・ソロなどの日本公演を成功させ国際的な興行師として活躍した]

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