

さて、今回はプロモーター(※1)永田友純氏の登場である。
ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデーナイトフィーバー」が話題になり、サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」で、またYMOがアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」でデビューした1978年(昭和53年)、コンサートのプロモーションを手がける会社、ホットスタッフが創業した。社長は23歳になったばかりの永田氏。青山にオフィスを構え、同年代のスタッフが5人の小さな会社だった。永田氏は中学のときにザ・ローリング・ストーンズの「TELL ME」を聴いて以来のロック少年。起業したのも日本のロックのコンサートをやりたいという強い思いからだった。
また、永田氏の父、永田貞雄氏(※2)もまた浪曲の黄金時代からショービジネスの世界に身を投じ、外国人タレントの招聘、プロレス、サーカス、演歌などを手がけた日本の草分け的な興行師である。
さて、ホットスタッフは今年で30周年を迎え社員数も70名を越える会社となったが、その道のりは決して順風満帆だったとは言えない。今回は日本のロック草創期を中心に、プロモーターという音楽人の生き方に近づいてみた。