そんな年の3月、ムッシュかまやつ氏は、ホノルルに出来たばかりの「AOZORA」というライブハウスの仕事をブッキングされていた。ホリ・プロの堀威夫社長からハワイ往復の飛行機チケットを渡され、それは1カ月の契約だった。
 このときムッシュは23歳、本格的にプロとしての活動を始めてから4年経っていた。和製ポップスのロカビリーの歌手としてレコード会社と専属契約を結び20枚近くのシングルレコードを出し、日活映画などにも出演していた。しかし、根っからの洋楽少年は、自分のやっている音楽とやりたい音楽とのギャップをひどく感じていた。本場のジャズやカントリー&ウエスタンは好きだったが、和製ロカビリーに押し込まれ、芸能界の人気の浮き沈みを見ていると、自分のやりたいことは他にあるはずだと思い続けていた。顔にこそ出さなかったが、ただどうしていいかわからないでいた。そんなときのハワイ行き、断る理由は何もなかった。
 
「AOZORAは満杯で100人ぐらいのところで、僕は歌とアコーステック・ギターを担当し、ドラムとベースが日系人で、それとイタリア人のアコーディオン弾き。凄いでしょ(笑)? GIや地元の人たちを相手に当時流行っていたアメリカンポップス、ビーチボーイズ、カントリーなどいろいろやりました。ゲストで黒人の女性ヴォーカルがブルースを歌いに来ると舶来の音楽ってこういうものかなんて体でわかってね、日本にいるときと違ってのびのびしていました。堀さんが僕のことを見かねてそうしてくれたと思っています。とてもいい契約で、でっかいプール付きの家に居候して食事も付いて、月に500ドルもらえた。1カ月で戻らなくちゃいけなかったんだけど、どうも帰る気持ちになれなくて(笑)、東京の関係者は相当怒っていたらしいけど、そのまま4カ月いて、その後、親戚のいるロサンゼルスへ向かいました」
 
 ムッシュの祖父は戦前に弘前からアメリカに渡りロサンゼルスで「かまやつ洋品店」を営んでいた。祖母や親戚の顔を見てしばし和んでから、ラスベガスを経由してニューヨークへと好奇心のおもむくまま、一人旅を続けた。
 
 「グリニッジ・ビレッジの近くの安ホテルに泊って、レコード屋や古本屋を覗いて一日中歩いていたかな。ライブハウスではデビューしたてのピーター・ポール&マリーが『レモンツリー』を歌い、でも僕はフォークソングにはあまり興味がなかったからもっぱらジャズばかり聴いていた。ちょうど62年の秋頃、公民権運動が激化していた頃で、ビレッジは凄く熱気があって、長い髪に黒のハイネックのセーターを着た若い連中がうごめいてね。これは何か新しい大きなムーブメントが起きていると“ざわっ”ときた。ビートニクの詩人、アレン・ギンズバーグやボブ・ディランという存在を初めて知り、何か自分がそれまでになく前向きになっていた。でも、東京に戻ることを考えると契約を守らなかったことや、将来については不安でしたよ」


CLOSING TIME マスターの独り言

あの街、この街、ラガーのうまいお店

味の継承 郷土料理を自分で作ってみよう!


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