ムッシュかまやつさん(ミュージシャン)
撮影:堀清英 Kiyohide Hori
「ムッシュはムッシュ ひたすらムッシュ」ムッシュかまやつさん(ミュージシャン)

 ムッシュかまやつ氏は1939(昭和14)年東京の生まれ。父のティーブ釜萢氏(※1)はジャズ・ミュージシャンで、LA生まれの日系二世。1930年代に来日し、家ではほとんど英語で話していた。ムッシュは幼少の頃、親たちが聴いていた進駐軍放送(WVTR→FEN、現在のAFN)から流れる、ジャズ、カントリー&ウエスタンに興味を持ち始め、中学の頃にはジャズのレコードを聴きまくるという洋楽少年。やがて高校生(青山学院)のとき、独学で覚えたギターを持って銀座のジャズ喫茶でカントリー&ウエスタンの弾き語りや、また、米軍キャンプ回り(※2)でプロ活動を開始していた。
 今回はそんな洋楽好きのムッシュが、芸能界に入り和製ロカビリーの歌手に押し込まれ悩んでいた1962(昭和37)年、ハワイへ行くところから始まる。そして、ザ・スパイダースに参加、ビートルズ旋風、グループサウンズ・ブームと60年代の紆余曲折のグラフィティーをムッシュにお伺いした。

※1 ティーブ釜萢氏(1911年−1980年):[ロサンゼルスに生まれ、大学時代にミルス・ブラザーズやビング・クロスビーなどスウィング・ジャズが好きで学生バンドで活躍、1930年代に来日し、東京で暮らすようになる。日本のジャズの草分け的存在で、戦後は米軍の将校クラブやキャンプで演奏活動。1950(昭和25)年に日本初の「日本ジャズ学校」を設立し、ペギー葉山など日本を代表するミュージシャンを育成した]

※2 米軍キャンプ回り:[米軍キャンプ内にある様々なクラブで行われるパーティーや普段のライブのために、日本の一流ミュージシャンから楽器のできる腕のいい学生がかり出されていた。ジャズやカントリーを演奏し、将校クラスのクラブの専属になったプレーヤーやシンガーたちのなかには、当時一般会社員の月給の10倍となるギャラを稼いでいた人もいると言われている]

ムッシュ青春の旅立ち

 1962(昭和37)年、ザ・ピーナッツのヒッパレーヒッパレーで始まるTV「ザ・ヒットパレード」では弘田三枝子の歌う「ヴァケーション」や藤木孝の「24000のキッス」が流れ、お茶の間では子どもたちまでも見よう見まねでツイストを踊っていた。


CLOSING TIME マスターの独り言

あの街、この街、ラガーのうまいお店

味の継承 郷土料理を自分で作ってみよう!


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