

当時、大阪フィルハーモニーの指揮者だった朝比奈隆氏が、顧問と親しかったことから大会が近づくと指導にやってきた。中2になったポンタ少年に「君はリストがいいから、ティンパニをやりたまえ」と言った。
「こっちはホルンに必死なのに、この人何を言うとんだと(笑)。でも、朝比奈先生に言われたら『はい、わかりました』って言うしかない。これが打楽器の最初ですね。部活で叩いたのは1年間だけだったけど、何万回も叩きましたよ。厳しい部活が嫌じゃなかったのは、家が堅い、教育者とかが親戚にも多い家系で、部活には解放感があったんだよ。それから負けん気だから完璧に演奏するのに徹底していた。顧問にも可愛がって?もらったしね」
「高校に入学し、吹奏楽部の演奏を聴きにいったらとにかくヘタで、『今まで何やってたんだ』ってテーブルやイスをガーンと蹴飛ばして(笑)。何とかしようという気になってしまった。1年で部長兼指揮者。校長に直談判して他校に行った中学の仲間に転校してもらって2年のときに県大会2位の成績を収めたよ」
ビートルズが来日したのは1966年(昭和41年)のこと。15歳のクラッシック少年は「ブラームス、ショスターコヴィッチなどが大好きだったからね。ビートルズだろうとグループサウンズだろうと、とにかくポップスは毒だと思っていましたね」であった。
大阪のロイヤルホテル付きの音楽事務所に入り、月給5000円でバンドボーイをやることになった。家からは即勘当、ジャズクラブの屋根裏部屋を間借りし、丸1年身を粉にして働いた。その頃…。
「浪人していた親友が神戸のジャズ喫茶に連れていってくれて、そこで今まで聴いたことのない訳のわからない音楽がかかっているわけですよ。なんか音楽じゃなくて音苦みたいな。なんとかカルテットとレコード・ジャケットに書いてあるけど、ウッドベース、ピアノ、サックス、数えながら聴いているとドンドンと叩く音、小太鼓など打楽器演奏者だけで6人いるとしか思えなかった。カルテットなのに人と音の数が合わない。クラシックって打楽器全部がそれぞれだから、そのときはドラムセットって知らなかったんだよね。ジョン・コルトレーンの『インプレッションズ』が流れていたんだ。ドラムが波みたいに聴こえ、ちょっとおもしろそうじゃんって思ったのがきっかけですね。(ドラムはエルヴィン・ジョーンズ)」