


40代後半以降の世代、加藤和彦さんのデビューからのその行動を知る者にとっては、まずは小学校か中学校の頃にラジオから流れた、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」[1967(昭和42)年]で衝撃を受けた。そして、70年代に入ると、ゼロックスのテレビCMで「Beautiful」と書かれた紙を手にした、加藤さんのヒッピー・ファッションに目を見張った。のち1972(昭和47)年にデビューしたサディスティック・ミカ・バンドの音楽性とグラム・ファッション、『黒船』[1975(昭和50)年]をひっさげてのイギリス・ツアーには、ただただ驚くばかりであった。
その後発表になる音楽の数々、例えば「シンガプーラ」[1976(昭和51)年]ではアジア、またアルバム『パパ・ヘミングウェイ』[1979(昭和54)年]はカリブの島々と、新しい音楽的気分を作り出し、その影響力はライフ・スタイルにまで及んでいる。
今日まで様々なプロデュースと作曲を重ね、また映画音楽や歌舞伎、市川猿之助さんのスーパー歌舞伎の音楽を手がけ、その活躍は周知だが、いつも時代の先をいく加藤さんが新バンド結成という驚きの火種を投げかけてきたのである。
昨年の3月、東京渋谷のNHKホールで行われたサディスティック・ミカ・バンドの再々結成コンサート(再結成は1989年)、そして和幸(アルフィー坂崎幸之助さんとのユニット)の活動なども記憶に新しいところだが、さて、ミカ・バンド以来となる新しいバンドとは? レコーディングを終えたばかりのひととき、これまでのこと含め、いろいろとお伺いした!
加藤和彦さんのステージを初めて見たのは、1971(昭和46)年のことだった。人気のフォークシンガーたちが複数で出演するタイプのコンサート、そこに加藤さんは登場しギターを弾きながら「家を作るなら」を歌った。オランダ製の木の靴サボを履き、ヒッピー風のファッションだったが身ぎれいで、そのときの誰よりも存在感があった。例えれば異星人、見たことのない輝きがあった。当時加藤さんは24歳。