近田氏は慶應の幼稚舎から普通部へ進むのだが、中学一年のときにやはりイケナイとされていたエレキギターに興味を持ち、学校内のバンドに入る。
「唯一、一級上の先輩のバンドがあって、でも、もうすでにポジションは決まっていて。本当はエレキギターをやりたかったんだけど、空いているパートがドラムしかなくて、貯めていたお小遣いがあったのでドラムセットを買ったの。買ったのはいいけど、まずエレキと違ってドラムは運ぶのが大変なんだよ(笑)。子どもだからクルマないし、で、いくらなんでもタクシーでドラムを運ぶのは許されないよね。しかも、ドラムってものすごい音がデカいわけ。家で叩くわけにもいかなくて、そうこうしているうちに曖昧になっちゃった。他にも遊ぶことはたくさんあったしね」

 このバンド仲間にザ・スパイダースの面々が髪を切りに来る理髪店経営の息子がおり、その影響もあって、「子どもだから何となくそんなスパイダースが近しい気がして、スパイダースの演奏するナンバーっていうのは正しいんだということになって、アニマルズとかアストロノーツとかサファリズとかを聴いていた」と言う。また、当時から近田氏のアイドルは内田裕也氏であった。
「人には言わなかったけど、エレキブームの頃、寺内タケシとブルージーンズで内田裕也さんがボーカルをやっていて、テレビで見て何かイケナイ感じの裕也さんが出ると嬉しくて見ていましたね」


70年代、様々な出会いがあった

 近田氏は大学進学の頃、雑誌『an an ELLE JAPON』が創刊を控え、一般からエディターを公募したのだが、それに『内田裕也さんのことを書いて』採用されたそうだ。
「本屋で雑誌を立ち読みしていたら公募の記事があって、その頃、勉強はできないんだけど、センスとか先を見る目とか、自分のそういう勉強以外のことに関してはもの凄く過信していましたね。本当に愚かな少年だったんだけど、裕也さんのことを書いて応募したら編集部から電話があってね。それで、遊びに行ったら手伝うことになった。とにかく応募はもの凄い数がきたらしんだけど、受かったのは僕とカメラマンが一人だけ。編集者のアシスタントで、毎日取材と称して夜遊びを重ね、原稿を書いたりして毎日が面白かったですね」

 『an an ELLE JAPON』の創刊は1970(昭和45)年、若者文化がうごめき始めた頃で、これまでになかった雑誌として注目を浴びる。anan編集部には感度の高いファッションの関係の若者たちやデザイナー、またカメラマンなどが集まった。


CLOSING TIME マスターの独り言

あの街、この街、ラガーのうまいお店

味の継承 郷土料理を自分で作ってみよう!


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