


グループ・サウンズがいちばん凄かったのは1968年(昭和43年)だったと思う。タイガース「君だけに愛を」「花の首飾り」、テンプターズ「神様お願い」「エメラルドの伝説」の大ヒットで、マスターはこの頃中学1年生だったが、クラスの女のコたちの大半はGSのスターたちにキャァ!であり、ステキ!であり、お気に入りの王子さまたちの平凡や明星の切り抜きなんかを集めて交換しているコたちがいた。
僕のまわりの中1少年たちはタイガースやテンプターズ、オックスなんかは女のコたちのものという感じがしていた。(中1の男はまだまだガキンチョで、そういった女のコに立ち入ることすらできないでいた)
その点、スパイダースは男のコたちに人気があった。何といっても堺正章さんと井上順さんが面白く、その後の楽曲で「エレクトリックおばあちゃん」なんか知っているとクラスで人気者になれた。
当時ムッシュかまやつさんの存在はもちろん知っていたが、高校のときに音楽通の友人が「フォークとロックのステージに立てるのはかまやつさんだけだ」と言ったのを今でも覚えている。それは1970年初期、フォークのコンサートにロックががったミュージシャンが出るとお客は「帰れ!」と叫び、そこにはある一線があったのだ。そういう情報を友人はどこで仕入れたかは不明だが、かまやつさんだけは違う存在感だったのだ。
その後、TV「時間ですよ」に出て、蒲田さんことかまやつさんが登場するのを楽しみにしていた。のちの吉田拓郎さんとのデュエット「シンシア」のヒットは記憶に新しい。我々世代のアイドル、南沙織さんのことを歌っていた。また、「ペニーレインでバーボン」が流行っていた頃、原宿にあったバー、ペニーレインへ行ったもんです。そして、「我が良き友よ」が大ヒットしたときマスターは20歳になっていた。後からムッシュ本人からお伺いしたのだが、あれは吉田拓郎さんが大学の先輩の応援団長をモデルにして作ったものらしい。

ちょっと記憶は定かではないが、1985年に渋谷のパルコ劇場でムッシュのコンサートを見ている。取材だったと思うのだが、コンサート後に楽屋でお話を聞いている。そのときが初めてで、子どものときの大スター、こちらは緊張感あふれてしどろもどろだったが、とても紳士的な人だった。あれから20年以上経つが、いつお会いしても変わらないのである。マスターは「MUSIC MAN」の取材でムッシュにお会いした後に「あの時君は若かった」なんて口ずさんでしまったのだが、そんな目一杯緊張したあとは喉も渇き、ラガーがほっとした体にしみるのであります。