


「ラガー探訪ノート」にご登場いただいた福岡ユタカさんとお会いするのは、これがなんとマスターは25年ぶりのことであった。
新宿のツバキハウスにPINKが登場し、話題になって、そこの増田さんという当時の支配人を通して紹介された。当時マスター28歳、その年はYMOが散解して、僕のテクノカット(当時流行したうなじをかりあげ、もみあげを切った髪型です)をどうしてくれるんだ…なんて思っていた時期だ。また、カフェバーが乱立した年です。そういえば僕も福岡さんを青山3丁目にあったカフェバーに誘い、「水の都」という楽曲の作詞について話し合ったことがあった。そのとき確か、映画「チンピラ」の主題曲を福岡さんが担当していた。当時から作曲を手がけ、忙しそうだった。人の話をよく聞いてくれる人(マスターはあまり聞かない)で、音を作るのが好きな真っすぐな人といったピュアなイメージが強い。
突然ですみませんが、そのカフェバーは、なんかみんなで気取っていたぞ。目新しかった英国製のリファイル手帳をこれ見よがしにテーブルの上に置いて、全身黒っぽいコーディネートで「コピーライターってさぁ」とかホイチョイ・プロダクションの「見栄講座」を話題にし、僕ってギョウカイなのよねといった感じの人が多かった。お店の人はインカムをしていたが、あれもファッションだったのだろうか。
さて月日は流れ、マスターが福岡さんを突然TVで見たのが2000年(平成12年)テレ朝のニュースステーション。久しぶりにあの雄叫びを聴いたのである。マスターはこのとき「あー、やっぱり好きな道に行ったんだな」と。
久しぶりにお会いして、意外だったのは「池波正太郎の世界が好きで江戸前を楽しんでいる」ということであった。PINKのころからお付き合いしていた奥さんが江戸っこで、その影響が強いのだろうか。行きつけの人形町の「太田鮨」のカウンターでキリンラガーを飲み、鮨をいただく。再会のビールは旨い。彼がこれまで旅した東南アジア、アフリカなどの話を。世界の様々な音楽を追い求めて、昆虫採集ならぬ音楽採集の楽しさを語ってくれた。

福岡さんが旅先で集めた楽器を、今度見せてもらう約束をし、別れた。マスターは帰り道に「NS2000」のメロディを、「アイヤーコラサーなんじゃらホー」と思い出すのだが、やっぱりあれを歌えるのは本人だけじゃないかと思った。しかし、あの雄叫びはどこからやってくるのだろうか?
マスターも何か叫びたくなってきた。メヘェヘェヘェー!(子どもの頃からやっている山羊の鳴き声でした。最近は娘も聞いてくれない)