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1951年にプロとして演奏活動をスタートして58年目。渡辺貞夫はつねに日本のジャズ・シーンをリードし続けてきた。バークリー音楽院で学んだ本場アメリカのジャズの息吹を日本に吹き込むと同時に、ブラジルやアフリカなどワールド・ミュージックにもいち早く接近。フュージョンにアプローチした作品ではロックやポップス・ファンをも魅了している。写真家や、子供たちへの音楽教育者としての顔で親しんでいる人も多いはず。6年ぶり、通算70作目のオリジナル・アルバムのリリースを控えた〈ナベサダ〉さんに、温かな笑顔でこれまでの音楽人生を振り返っていただいた。

取材・文/長尾 泰  撮影/掘 弥生



音楽生活の始まり

―― 最初に手にした楽器はアルトサックスではなく、クラリネットだったそうですね。


15歳のときに「ブルースの誕生」という映画を観たのがきっかけです。ビング・クロスビー主演で、少年時代から始まってバンドリーダーになるお話。黒人たちがデキシーランド・ジャズをやってるなかに、少年がクラリネットを持っていってカッコよく演奏するんです。その少年に憧れまして。たまたま、街の小さな楽器屋さんに中古のクラリネットが1本あった。親父にねだって買ってもらったんですが、持ち方も分からない(笑)。近所の駄菓子屋のおじさんが吹いてたと聞いて、店先で3日間、指遣いと吹き方を教わって。1回10円のレッスン料でした(笑)。あとはエチュードを買って練習して。それが音楽生活の始まりなんです。


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―― お父さまは薩摩琵琶を演奏されていたそうですね。


月に何度か正座して琵琶を聴かされてました。親父は僕に琵琶を教えたかったようですね。でも、僕は興味がなくて(笑)。親父がそういう人というのもあって、音楽自体はすごく好きでしたね。でも、音楽なんて男がやるもんじゃないと思われてた時代でしたから、友達はみんな音楽は嫌いだと言ってました。僕も「キライだ」とは言ってましたけど、内心は大好きだったわけです(笑)。


―― (笑)。しかも、数年前まではジャズはいわゆる敵性音楽だったという。


西洋音楽はドイツのクラシック音楽以外はそんな扱いでしたね。流行歌と軍歌、日本伝統の音楽、学校の唱歌......そういう音楽しかなかった。終戦後、進駐軍の放送でアメリカのポップスやハワイアン、ジャズ......明るい音楽が聴こえてきた。それで夢中になったんです。


―― アルトサックスを持つようになったのはいつごろですか?


16歳で地元のアマチュア・タンゴ・バンドに入って、進駐軍のキャンプで演奏するようになってほどなくした頃でした。アメリカのスケート選手で〈氷盤の女王〉と言われたソニア・へニーの映画にレス・ブラウンのビッグバンドが出ていて、そのサクソフォンに憧れて。サクソフォンって金色をしていて、曲線のフォルムもカッコいい。これもほしいなぁ、と(笑)。朝鮮戦争の真っ最中で、古電線が1キロ300円ぐらいで売れたんです。古電線を毎日集めて、足りない分はまた親父にしつこく迫って、神田の楽器店で日本製のタナベのサキソフォンを買ってもらいました。上京したときもそれを持って。

ただ、当時はベニー・グッドマンのスウィングが全盛期。クラリネットのほうが仕事があったんです。いまの銀座の松坂屋の地下にあった〈オアシス〉というダンスホールで演奏したり、いまの六本木ミッドタウンの向かいにあった米軍のキャンプで演奏したり。そこの仕事が終わると三宿の下宿まで歩いて帰る。

その帰り道、道玄坂の上の〈フォリナス〉というクラブで松本英彦さんや日本のミュージシャンたちが毎晩ジャム・セッションをやってたんです。それを窓越しに聴いて、フレーズを歌ったりしながら下宿に帰るということを毎晩続けていて。で、とうとう我慢できなくなって飛び込んでいって吹かしてもらったんです。そこでできた友達が新たに組むオクテットにサクソフォンで参加しないか、と。それからサクソフォン人生が始まったんです。


あこがれのバークリー音楽院へ

―― そして秋吉敏子さんのコージー・カルテットに加入されます。


53年にジャフロというグループを作って、横浜の〈ハーレム〉というクラブで演奏していたんです。昼間はアメリカの軍楽隊のいいミュージシャンたちがジャム・セッションをやっているクラブ。で、夜は僕らがリズム&ブルースを演奏する。そこに秋吉敏子さんが来てセッションに参加したりしていた。それがきっかけでしたね。

上京するとき親父と「2年間だけ好きなことをさせてくれ」と約束してたんです。ちょうど2年目に秋吉さんのところ、つまり日本のトップ・ピアニストのグループに参加できたことになるわけです。これならやっていけるかな、と。


―― 秋吉さんがバークリー音楽院に留学された後、渡辺さんがコージー・カルテットのリーダーになります。その後、ジョージ川口さんのグループに参加したりしながら、'61年に最初のリーダー・アルバム『渡辺貞夫』を発表します。その翌年には秋吉さんに次いで日本人では2人目としてバークリーに留学することになりますね。


秋吉さんの紹介で「日本のミュージシャンひとりにスカラーシップをくれるから」というんで「ぜひ!」と。当時はジャズの理論なんて誰も教えてくれない。GIの後を追っかけて教わるとか、レコードをコピーするとかするしかなかった。それがバークリーでジャズが勉強ができるなんて、もう夢のまた夢でしたから(笑)。


―― 留学中の苦労などは?


苦労ってどんな(笑)? 好きな音楽をやってあこがれの音楽院に行けるわけですから、特に苦労なんて感じませんでした。まあ、10か月ぐらいしてから家族を呼んだりしたんで、生活費を稼がなきゃいけないわけですし、敢えて言うならそれが苦労かな。言葉も問題はなかったし。

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渡辺貞夫

1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍している。写真家としての才能も認められ、これまでに6冊の写真集を出版。2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱した。

OFFICIAL SITEhttp://www.sadao.com/

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『INTO TOMORROW』(写真上)
プロとして活動を開始して58年目、70作目のアルバム。昨年共演したドラマー、ジョナサン・ブレイクを中心に、ニューヨークの新進気鋭のミュージシャンを起用。渡辺貞夫の原点であるピュアなアコースティック・ジャズに向き合った作品となっている。2009年9月2日 発売 VICJ-61608 ¥3,150(税込)


『BASIE'S AT NIGHT』(写真中)
ジャズ喫茶〈ベイシー〉にて収録された演奏は、約30年ぶりとなる日本人グループとのライヴ・アルバム。2007年8月1日発売 VICJ-61508 ¥3,000(税込)

『Sadao & Charlie Again』(写真下)
チャーリー・マリアーノと40年ぶりに再会したクリスマス・コンサートを収録。2006年12月16日発売 VICJ-61398  ¥3,000円(税込)

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