2010.02.15UP
嗅覚の記憶が一番強いとはよく言われる話ですが、
まさにその通りだと思います。
そしてニオイから風景を、風景から音を、音からニオイを。
記憶は連鎖してその人物を作り上げる。
、、、そんな気がします。
毎度ばかばかしい話を一席。
今ちょうどアレンジ仕事のために、はっぴいえんどを聴いています。
言わずもがな日本を代表するロックバンドであり革命児達の奇跡的集合だと思います。
僕自身も相当影響を受けているし、ここで音楽的に僕が語れる事なんてたかが知れてます。
ただ、それとは別にはっぴいえんどを聴いているとある事を思い出します。
大学生の頃、アルバイトしていたお店ではいつも
はっぴいえんどの「風街ろまん」とバクダット・カフェのサントラが流れていた。
そのお店は恐ろしく忙しかったので一旦CDがトレーに入ると永遠とループされて
気がつくと数時間が経っていたなんて事が当たり前でした。
どちらの作品も大好きな作品でしたが、あの油臭い厨房で聴きすぎました。
今日何度目の「風をあつめて」だろう?とか、
また「コーリング・ユー」か、、、とか(笑)。
だからいまでも「風街」を聴くとまずはあの風景が、
信じられないくらいの汗と寝不足の自分の姿があのニオイと共に浮かんでしまいます。
ある日お店に直談判して別のCDを買ってもらいました。
それは、、、「Happy End」(笑)。
事実上解散していた時期にロスで録音された最後のアルバムです。
お店ではじめて「風来坊」が流れた時に
「あぁ、こっちのはっぴいえんどが聴けるぅ~!」ってなぜか喜んだ気がします。
だから今でも「Happy End」を聴くと油臭い中の清涼感を感じます(笑)。
そう言えば、忙しくて気が狂いそうになるとホールの人に頼んで
ジャックスのファースト「ジャックスの世界」を少し音量大きめで流してもらっていました。
これまた日本を代表する歴史的バンドだが、
バブル末期(崩壊と言う言葉が使われ始めていた)の
お昼時のこじゃれたお店にはすこぶるあわない(笑)。
小さな抵抗をしていたのでしょう。
しかし意外にお客さんには評判も良かった。
「今かかっているの何ですか?」って
よく聞かれた気がします。、、、気がします。
、、、違う意味だったのかな(笑)?
ニオイと言えば前回のハワイ島の翌年の上海も印象的でした。

上海
帝都大戦のような世界がそこにはあって、一歩路地に入るとドヤ街が。
前年までの清涼感あふれるハワイとは違って恐ろしく下世話な街。
何よりもあたりに漂うその悪臭たるや(笑)。
ただ僕はそのニオイに郷愁を憶えました。
「このニオイは僕が子供の頃の吉祥寺と同じだ!」
僕が子供の頃の吉祥寺はオシャレでも何でもなく、
いたって中央線的世界でした(笑)。
東急や旧近鉄は記憶外ですが、ロンロンとパルコが出来る前なら微かに記憶があります。
現在のパルコの場所には映画館があって二階が雀荘だったと思う。
そこで産まれてはじめての映画「スパイダーマン」を観るはずが同時上映の「溶解人間」が!
、、、話が横道にそれました。
上海の継ぎはぎだらけの建物達を見ては「いせや建築様式」と名付けていました(笑)。
前年のハワイ島が雨ならば上海は雑踏。クラクション鳴り響く混沌とした世界。
その継ぎはぎだらけの街のニオイは悪い油で悪い肉を焼いているような、
あるいはくさやを焼いているような感じで、子供の頃、毎日いたハモニカ横町を思い出しました。
何よりも人々の眼がギラギラしていて且つ純粋そうで何故か感動してしまった。
夜中でも朝でも昼でも同じお店に同じ店員!
、、、何時間労働(笑)?
親父が生前「ソウルの空港にはソウルの、パリにはパリのニオイがするのに
日本にはそのニオイが無いね。」と言っていた。
実際、上海から戻った成田で感じたのは恐ろしい科学物質的ニオイでした。
もっとも車に乗って小一時間もすると全く感じなくなってしまっていましたが。

上海土産。ジャズが似合う街です。
そのハモニカ横町でおおむかし面白い事があった。
、、、もう時効だから許してあげて下さい(笑)。
実は親父はある年の年末にハモニカ横町で封筒に入った大金を拾ったのです。
「こんな時期にしかもピン札でこの大金。これはよからぬ金に違いない!」
、、、勝手な理由だ(笑)!
近くにいた若い衆には口止め料としてシャツを買ってあげたそうだ。
人のお金ですが(笑)。ってか何故にシャツ(爆笑)?
そして向かった先は今は無き「ビノ・ボガ」。
界隈の皆が行きつけだった喫茶店「ボガ」が新たに開店したバーの
この「ビノ・ボガ」のトイレで偽札でない事を再度確認した親父は
記念すべきお店で最初のボトルキーパーになったそうな。
高田漣

