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2010.01.25UP

神のためだけに歌うコリア牧師

 1950年代に活躍したドゥ・ワップ・グループ、フラミンゴスの来日公演を見に行った。場所は東京品川にある「よしもとプリンスシアター」、そう吉本興業の劇場、普段はお笑いをやっているところだ(1月21日から25日まで)。

 フラミンゴスは2001年、「ロックンロールの殿堂」入りを果たしているいまや伝説のグループ。もちろん、オリジナル・メンバーではない。日本にやって来たのは、初期メンバーの一人で、フラミンゴスのヴォーカル・スタイルを確立したテリー・ジョンソンが率いる新生フラミンゴス。

 ショーのタイトルは「CHICAGO; BLUES & SOUL SHOWDOWN !」。途中10分の休憩をはさんで、長丁場、3時間の公演。シカゴ出身のフラミンゴスはじめ、バック・バンドに歌もギターも器用なジョニー・ロウルズ(サックス担当のカール・グリーンが巧かった!)、シカゴ出身のベテラン・ブルースマン、渋い歌とギターを聴かせるバイザー・スミス。そして日本の木下航志(こうし)君。まだ20歳ちょっと、目の不自由な木下青年、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」を上手に歌う。とってもソウルしています。ふっと大昔観たスティービー・ワンダー、思い出した。

 「コウシなら、テレビ番組『アメリカン・アイドル』に出場して、優勝できるよ」って、ステージで彼を絶賛したのが、現在イリノイ州シカゴの教会で牧師をしているミッティ・コリア。彼女も60年代、リズム&ブルース全盛期、大ヒット曲こそなかったがR&Bファンの間ではかなり人気のあった女性歌手だ。  

 巡業中、声帯を酷使したため声が出なくなり、手術後の療養中、天からの声が聴こえ、神の道へ転向。その後は教会の仕事をメインに、商業的な歌は一切歌わず、聖歌・ゴスペルを信者やファンに聴かせているという。

 だからいま、彼女の名前、頭にパスターとつき、正式には「パスター・ミッティ・コリア」という。パスターといっても、イタリアンの麺類ではない。プロテスタント教会の牧師のこと。博士をドクターと呼ぶのと同じだ。

 いまこの時期、シカゴはひどく寒い。それに大変な不景気、ひもじい思いをしている人が数多くいる。彼らに食べ物を与え、生活を助け、祈りをささげるのがコリア牧師の仕事だ。今回のトーキョー・ツアーも、そんな彼女の布教活動の一環なのだ。

 音楽の始まりは宗教だと言われている。世界中、どこでも宗教と音楽は切っても切れない関係だが、特にアメリカのリズム&ブルースはその関係が深い。有名なリズム&ブルース曲の多くは聖歌やゴスペルをヒントに作られている。

 教会で歌われる聖歌やゴスペルが「神の音楽」で、盛り場で酔っ払いの男女が踊り歌うリズム&ブルースが「悪魔の音楽」なら、その差は紙一重だ。聖職者の子供たちがリズム&ブルースの歌い手になった例や、リズム&ブルース歌手が聖職者になるケースなど、アメリカではよくみられること。なかには歌手と牧師さんと葬儀屋さんを一緒にやっている人もいるくらいだ。

 パスター・ミッティ・コリアの歌唱力、もう68歳近くになるはずなのに、声量も声の張りも充分に現役だ。「もう商業的な歌は歌わない。いまは神のためだけに歌う」との宣言通り、色っぽい歌詞の歌は歌わないが、この声だったら、毎週日曜日教会に聴きに行きたいと思わせる迫力がある。

 いまの歌とどこかが違う。そうだ、声、声量だ。声が良く出る、通りが良い、でかい!

 ビヨンセもアリシア・キースの新しいリズム&ブルースもステキだが、1950〜60年代のリズム&ブルース女性歌手には、でかい声を出す人がたくさんいたように思う。思いつくままでもダイナ・ワシントン、ラヴァーン・ベイカー、エッタ・ジェームス、リトル・エスター・フィリップス、ティナ・ターナー・・・みんな声がでかい。

 日本の若者の間でブルースが知られるようなったのは、イギリスのロックンローラー達のおかげだ。ジョン・メイヨールとかヤードバーズとかがブルースの雰囲気を届けてくれた。そして多くの方のご努力でようやく国内盤ブルース・レコードもレギュラーで発売されるようになった。

 50年代から60年代にかけて、黒人の歌、ブルースやリズム&ブルース・レコードの多くはインディ・レーベルだったためか、いまのように輸入盤屋さんはない時代、海外に注文しても入手出来ないレーベルがたくさんあり、日本での入手は難しかった。

 一方、白人にファンが多いカントリー&ウエスターン音楽は、RCAやコロンビア、キャピトル、デッカなどメジャーレーベルの発売が多かったので日本でも数多く発売され、ジャズやハワイアンとともに人気音楽になり、ロカビリー・ブームを生み、それがグーループ・サウンドにつながった。

 パスター・ミッティ・コリアの歌を聴きながら、もしあの頃、もっともっとたくさんのブルースやリズム&ブルース楽曲が聴くことが出来、流通していたら、日本の音楽シーンはきっと変わっていたことだろうなぁと思った。

 あの頃のブルースといえば淡谷のり子さんの歌であり、ブギウギといえば笠置シズ子さんだった。それも良いのだが、ワイノニー・ハリスやジョー・ブラウンを聴いていれば、もっともっと若者が音楽に抱くイメージは広がったことだろうに・・・と思う。

 そう、このコンサートの主役フラミンゴス。メンバーは替わってもテリー・ジョンソンのテナーは健在。どこかで見た表情とおもったらコント赤信号のリーダー渡辺正行に似ていた。彼らのヒット曲はもちろん、そしてなんと美空ひばりの「川の流れのように」を上手な日本語で歌った。さすがステキなハーモニー。そうか、ドゥワップは演歌だったのだ。彼ら、YouTubeを繰り返し見て覚えたのだという。いま、デジタル時代。手に入らない楽曲はほとんどない。50年前にYouTubeがあったらねぇ・・・と思わずにいられない。幸せな時代だ。

 終わって出口で、パスター・ミッティ・コリアのCDを買った。正確にはレーベルもスリーブも自家製のCD-R。ちなみにレーベル名はConvert「改宗」だ。一枚一枚に、彼女の代表曲にちなんだ句 "Have a talk with God daily. He will make it happen for you" と手書きのサインが入っていた。

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ミッティ、神に歌うCD

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手書きのサイン

 帰り道、寒い夜だったが、ちょっぴりハート・ウォームな夜でもあった。

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亀渕昭信
1942年、北海道札幌で生まれ夕張郡由仁町で育つ。64年、東京のラジオ局ニッポン放送入社、番組制作部勤務。69年から4年間、深夜放送「オールナイトニッポン」のDJパーソナリティも担当。同僚の斎藤安弘氏とデュオ“カメ&アンコー”や一人四重唱のカメカメ合唱団でシングル「心のシャンソン」、泉谷しげるとのコラボでLP「カメカメ合唱団」(エレック)を発表する。99年から6年間同社代表取締役。現在はラジオ業界を離れ、ライフ・ワークでもあるポピュラー音楽の歴史・研究に邁進すると同時に、NHKラジオ第一放送とNHKデジタル・ラジオで隔週50分のクラシック・ポップス・ヒットがメインの音楽番組「亀渕昭信のいくつになってもロケン・ロール」のDJを担当。著書に「オールナイトニッポン」聴取者との交流を描いた『35年目のリクエスト』(白泉社)がある。

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