2009.05.21UP
●人々をインドに向かわせたビートルズ
――今日は大学で「ビートルズとインド」についての講義をされたそうですが。
そうです。まずビートルズからインドの話をするというのがいつものパターンです。大東文化大学でインド音楽を教えはじめてから10年以上になるんですが、最初は普通にインドの話をしていたんです。けれども、もうちょっと親しみやすい、みんなが知ってる話から入ったほうがいいかなと思ったので、ビートルズの話から入るようにしていったわけです。やっぱりシタールの演奏家のラヴィ・シャンカルという名前は世界的に有名なので、ビートルズとのつながりで、学生にもインド音楽を身近なものに感じてもらえるんじゃないかと思って。最初に、ラヴィ・シャンカルのモンタレー・ポップ・フェスティバル(1967年)の映像を見せるんですね。あのときの演奏は何度見てもすばらしいし、それを見せるとすごく反応がよかったので、いつもそこから始めています。
――インドを勉強している学生向けの講義ですか。
国際関係学部という学部なんですが、アジアがメインで、まずアジアの言語を選んで、2年生になるとその言語の地域を勉強するんです。インドのヒンディー語とかパキスタンのウルドゥー語を履修している学生はたいてい授業に出てきますが、それ以外に音楽が好きな学生も地域を越えて自由に履修していいので、インドを専門にしていこうという学生とは限らないんですね。
そのほかに、高校に出前講義に行ったり、高校生向けのアジア理解講座とか、オープンキャンパスといって高校生に大学を開放した体験授業をやってるんですね。体験授業でもガンディーの話をしてみたり、いろんな話をしたんですが、ガンディーよりもやっぱりビートルズのほうがウケがいい(笑)。なので、7月のオープンキャンパスの体験授業でまたビートルズとインドの話をします。そういう感じで、このスタイルの講義はずいぶん昔からやってたんですね。それを、そろそろまとめないといけないと思って。
――それでご著書の『ビートルズと旅するインド』(2007年)につながるわけですね。
そうなんです。もともと私は研究者でインド研究の専門家ですから、事実関係は徹底的に調べて、できるだけ間違いのないように努力しました。ビートルズ・ファンの人もみんな一言あると思うんですが、逆に、インドのことを知らなければわからないところもあると思ったので、書いてもいいかなって。それと、ジョージ・ハリスンはもう、インタビューや行動を見ても、完璧にインド思想に傾倒したと思うんですよ。本当にジョージのことを知りたければ、インド思想のことを知らなければならないんじゃないかなと。そういうところを追究するのもいいかなと思った。たとえば、アルバム『ブレインウォッシュド』のおまけのDVDでジョージが語っているのはやっぱりインド思想ですよね。そういうことを理解して初めてその人がわかるんじゃないかなと思ったんです。ポールは(妻の)リンダやジョージが亡くなったあと、心の持ち方が変わったのか、またインドによく行くようになりましたが、ポールとインドのかかわり方は、適度に距離を置いてると思うんですね。『アンソロジー』のインタビューでも「瞑想はどこでもできる」と言ったりして、おもしろいと思えば曲にも取り入れるし、新しいサウンドが開けるだろうと。心の底からどっぷりというのではなく、大人のつきあい方をしていたような気はします。
――ジョン・レノンはいかがですか。
ジョンはマハリシ・マヘーシュ・ヨーギ(ビートルズが瞑想を学んだ導師)を信頼できなくなってしまったのですが、ほかの聖者であればよかったのかもしれません。もっとすばらしい人はいっぱいいるのに、最初の出会いがマハリシというのはちょっと不幸だったかな。もう一つ、子どもが生まれて専業主夫のようになって、日本にもよく来て、東洋の文化にすごく興味を持ってましたよね。その体験が長く続いていたら、もう一回インドに目が向かないはずはないんですよ。もともと「ノルウェーの森」や「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のようなインド的なものを持っている画期的な曲は実はジョンが先に作っていて、その作品でジョージがシタールを弾いたということですよね。もちろんシタールという楽器そのものに対してはジョージのほうが深いかもしれないけど、ジョンが長生きしていれば、ラーガとかインド音楽の理論的な側面をもっと追究しようとしたかもしれない。それに、ベッド・インの映像にもハレ・クリシュナ(ジョージが支援していたクリシュナ意識国際協会)のメンバーが映ってるんですよね。そういうことからしても、ジョンがもっとインドに傾倒した可能性は絶対にあると思います。
――ビートルズのメンバーではやっぱりジョージがいちばんお好きですか。
ビートルズ全体は好き。とくに誰が好きとか、そういうことじゃなかったような気もするんですが...。振り返ってみると、ジョージが好きだったんですね。やっぱり、ハンサムじゃないですか(笑)。ああいうハンサムなギタリストってステキと思ってました。
――重要なことです(笑)。ロックやビートルズとの出会いの話をお聞かせいただけますか。
サイケデリックの時代は小学生だったし、ビートルズが来日したこともテレビでやってたから知ってるぐらいでしたが、ロックにつながるようなものは好きだったんですよ。たとえばパートリッジ・ファミリーとモンキーズは毎週テレビで見てたんです。日本ではGSブームだったでしょう。そういうのを通じて、ロックが好きになるメンタリティは形成されてたと思うんです。ロックってすごくおもしろい音楽じゃないかって意識したのは、やっぱり中学になってから。そのときにはビートルズは解散してたんですね。エリック・クラプトンがデレク&ザ・ドミノズで出した「いとしのレイラ」(70年)を聴いて、すごい音楽だなと思ったのが最初です。それ以降、過去に戻って全部聴きなおして、中学・高校から大学にかけて、ローリング・ストーンズもビートルズも含めて洋楽ロックは何でも聴きまくりました。高校になると、中学のときにはできなかった「ライブに行く」というのを始めて。キッス、クイーン、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィとか、けっこう初来日を制覇してるんです。本当に好きだったんですよ、ロックが。バンドも高校のときからやりたかったんですけど、仲間がいなかったので、大学に入ったら即、最初は3つぐらいのバンドをかけもちでやってました。
――日本のロックにビートルズが与えた影響についてはどのようにお考えですか。

日本のロックにというか、私と同じように、日本でロックをやっていた連中にインドに行かせたのはやっぱりビートルズでしょう。なぜみんながあんなにインドに行きたがったのか。ビートルズのほかにもストーンズだってシタールを使ってたし、キンクス、ヤードバーズや、ジャズでもクラシックでも、いろんなミュージシャンがインド音楽に触発された時代が1960年代の後半だったわけですよね。そのなかで、インド音楽っておもしろいと思って、たくさんの若者がインドに行ったのは、やっぱりビートルズの影響だと思うんですよ。具体的にそれが音楽にどのように反映されているか以前に、学生運動やいろんな社会不安があった時代に、いわゆる自由な精神、心の解放というかな、閉塞感を抜けたいという気持ちをみんなが抱いていたときに、インド音楽ってすごく魅力的に映ったと思うんですね。その魅力をここまで世界中に広めたのはやっぱりビートルズのおかげじゃないでしょうか。私のように、ビートルズの音楽を通じてインドにあこがれて、血迷った考えでインドに行って、そのままインド音楽をやった人たちもたくさんいたわけですよ。とくに日本でシタールをやってる第一世代は、ラヴィ・シャンカルとかの音楽を聴いて、モンタレーの映画を見にいったり、レコードを聴いたりしていました。あの音楽にみんなが感激したという意味でも、モンタレーは聴くべきだと思います。その後インド音楽や民族音楽系を専門にした人もたくさんいますし、逆にそういうものを肌で感じながらも、一時的な旅からもとの世界に戻っていった人もいる。たとえばポールのように(笑)、大人のおつきあいをすることができた人もいれば、ジョージのようにどっぷりはまってしまう人もいる。そういうことじゃないでしょうか。ただ、私はジョージと違ってインドの宗教には全然はまっていなくて、音楽がおもしろいと思ったんですね。
●心のリセットのためにヒマラヤが呼んでいる
――インドのデリー大学に4年間留学されていたということですが。
1年で帰ろうと思ってたんですが、いつまでたっても帰ってこない(笑)。その理由の一つが、南インドのスッブラクシュミという女性歌手の音楽がすばらしかったからです。ラヴィ・シャンカルが有名になる前から欧米でいちばん名前が知られていたインドの音楽家といえば、スッブラクシュミなんですよ。インドでスッブラクシュミのコンサートに行って、1980年代当時なので彼女は70歳に近かったんですが、身震いがするほど感動しました。この音楽はやる価値があると思ったんですね。それで帰れなくなっちゃった。私が声楽をやるようになったのは、シタールをやる気がなかったのも大きいんですが(笑)。とにかくジョージのせいでみんなシタールをやりますが、私は人と違うことをやりたいタイプなので。スッブラクシュミは2004年に亡くなりましたけど、ビートルズ・ファンにも一度ふれてもらいたいなと思います。
――留学中、ビートルズに関係のある人にお会いになったことなどは?
ちょうど私が留学していた頃、ラヴィ・シャンカルは実は心臓のバイパス手術をしていたときだったんです。デリー大学で招待してたんですけど、そのときは来てくれなくて。私が日本に帰る頃になって復帰したんですよね。それで1回コンサートに行ったんですけど、「今日は星まわりが悪い」と言って、途中で演奏をやめちゃったんです。健康状態がまだ完璧じゃなかったんですよ。80年代の真ん中あたりって、ジョージもあまり活動してないでしょう。ラヴィ・シャンカルの心臓が悪かったのと同じ時期なんですよね。
そうそう、ビートルズのアルバムやジョージのソロ・アルバムなどで共演した人たちのなかには、コンサートで見た人や、日本に招待した人がけっこういます。シヴ・クルマール・シャルマーというサントゥールの演奏家とか。アッラー・ラカー(バングラデシュ救済コンサートにも出演したタブラ奏者)の息子のザーキル・フセインも日本に来てますよね。2002年のジョージの追悼コンサートでラヴィ・シャンカルの曲に出演してたインド人の男性ボーカル、アルーンという人ですけど、彼はデリー大学のときの同級生です。映像では後ろのほうがあまり映らないんですけど、最後のクレジットに名前を見つけてびっくりしました。(09年の)3月にインドに行ったときも彼に会ったので、そのコンサートの話を聞いたら、ラヴィ・シャンカルから声がかかって出演したと言ってました。インドでも売れっ子のミュージシャンで、中堅で有名な声楽家の一人です。立派に育ちました(笑)。

――インドではビートルズが楽器を買ったお店に行かれたそうですね。
デリーの中心地、コンノート・プレイスの一角にあるリキー・ラームという店です。この店だけがビートルズのおかげでやたらと有名になりまして、とても質のいい楽器を提供するんですけど、よそのお店より値段がすごく高い。だから私も何台も持ってないんですね。これはリキー・ラームの銘柄のハルモニウム。ジョージも同じようなのを使ってたんじゃないのかな。ハルモニウムを使った曲をいっぱい書いたでしょ。1966年以降の多くの作品はこれを使って書いた可能性がある。でも「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は違いますね。これよりももっと低い音があるから。もともと19世紀の末ぐらいにヨーロッパから渡ってきたリード・オルガンを、インド方式で床に座って弾くように改良したのがこの楽器。『マジカル・ミステリー・ツアー』の映画で「ブルー・ジェイ・ウェイ」を演奏してるときに、床にキーボードが描いてある。あぐらをかいて弾くという姿が、すごくインドのハルモニウムっぽい。なんか、サウンドもチープでしょ?(笑)
――楽器店以外には?
やっぱりリシケーシュですね。ビートルズたちが68年にリシケーシュに行って修行をして、それ以来超有名な観光地になったので、そのことを知ってる人たちはみんな行くんじゃないですか。リシケーシュはヒマラヤのふもとで、昔からヨーガの道場は多かったんですね。こんな山奥に、普通だったら観光地にもならないようなところに、外国人がたくさん集まるようになったのも、ビートルズのおかげじゃないでしょうか。ヨーガが目的でリシケーシュに集まる外国人は今でも多いですね。とくに欧米の観光客は。私もインドに来たならば一度は行かないとっていう感じで留学中にも行きましたし、合計何回行ったか覚えてないぐらい、なんべんも行きました。この大学では学生を連れて現地研修をやるんですね。3年に1回、引率の順番がまわってきますが、そのたびにリシケーシュに連れていってます。

――学生さんがうらやましいです!勉強のために行くのですよね?
ヒンディー語の研修を、今はデリー大学、昔はジャイプルのラージャスターン大学でやったんです。ポールの曲に「ジャイプルへの道」ってあるじゃないですか、あのジャイプルです。2〜3週間研修して、あとはだいたい旅行をします。その一環として、デリーからも比較的近くて、車で7〜8時間で行けるリシケーシュへ。ガンジス川の水もきれいで、自然に恵まれたいいところです。
――インド以外では?
ロンドンにも研究調査で行きました。ヒースローからロンドンの中間あたりにサウスオールというところがあるんですが、いわゆるインド人街なんですね。80年代ぐらいにインド系移民のあいだでおもしろい音楽文化が生まれてきて、そこが目的で。あとは研究目的で大英博物館、大英図書館とかそういうところに行くことが多いので、ビートルズの足跡を訪ねるために行ったわけではありませんが。
――やっぱりイギリスでもインドに関係のあるところに行かれるんですね。インドでほかにおすすめの土地などありますか。
やっぱりヒマラヤじゃないですか。一生のうちに、心が汚れてしまいそうな俗世を離れて、しばらくヒマラヤにこもってみたいなと思います。バスが通じてるところまでしか行ってないので、ちゃんと歩いて登って、リシケーシュの先に行かないと。このところ、日本はいいニュースがなくて、心がすさんでいて、そういう時期はおそらく昔もあった。インドの神秘に出会ったときのビートルズも心がすさんでいたと思うんです。ブライアン・エプスタインが亡くなったときだし、ツアーに疲れきってライブ活動をやめちゃいましたよね。インドに足を踏み入れて、ラヴィ・シャンカルにシタールを習ったり、本格的にインド音楽に傾倒していくわけなんですけど、その頃っていろんな意味でビートルズの転機だったと思うんですね。アルバムでも『リボルバー』『サージェント・ペパー』と、最高傑作が生まれた時期じゃないですか。その時期の彼らに影響を与えたのは、インドの音楽だけじゃなくて、精神的なものがすごく大きかったと思うんですね。長くすさんだ心で生活していると、リセットしたくなる。人生をリセットできるわけじゃないけど、気持ちをリフレッシュすることはできると思うんですよね。やっぱり私をヒマラヤが呼んでいる(笑)。
――今の研究活動にビートルズが影響していることがありましたら。
ビートルズには感謝してます(笑)。私の研究活動というよりも、私がインド音楽のことを学生や若い人たちにも伝えたいと思って一所懸命やってるときに、いつもお世話になってるんですよ。ビートルズのお話をさせていただいて、音楽を聴かせ、ビデオを見せて。ビートルズがいなければ私のインド音楽の授業が成立しませんから、本当に感謝の念が絶えません。

リシケーシュの研修旅行中に、2008年9月撮影。ビートルズも68年に渡った橋にて。
取材・文/淡路和子
井上貴子(いのうえ たかこ)
大東文化大学教授
1957年岐阜県生まれ。81年に東京藝術大学音楽学部楽理科を卒業後、4年間インドのデリー大学に留学し、声楽の修士課程を終えて帰国。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。2005年東京大学から博士(学術)授与。現在は大東文化大学国際関係学部教授として、インドの音楽・芸能の講義を受け持つ。主な著書に『ビートルズと旅するインド』、共著に『ヴィジュアル系の時代 ロック、化粧、ジェンダー』、編書に日本のロック草創期のミュージシャンとのトークショーをまとめた『証言!日本のロック70's』など。6月5日〜7日、西伊豆のオートキャンプ銀河で開催されるインド系音楽の野外フェスdance of shiva 2009(http://www.tirakita.com/event/)にボーカリストとして出演する。
