生まれてはじめてエレクトリック・ギターの音を生で聴いたのはベンチャーズでした。
大手町のサンケイホールで。63、4年頃だったでしょうか。はじめは高校の友だちと2人でいく約束をしていたんですが、当日になってその友だちが親に反対されていけなくなって。私も母に電話したら、あんたひとりでいきなさいって言われまして。それで生まれてはじめてエレクトリックギターを生で聴きました。とにかく音が大きくて、もうびっくり仰天。周りを見たら大学生のお兄さんばかりで、学校の鞄を持った女子高生は私ぐらいでした。
初めてビートルズを知ったのはラジオで、1963年の冬でした。いつもどおりにFENをかけてたら、とてつもなくかっこいい音楽が流れてきて、びっくりして、これはなんだと。でも英語のDJですから誰だかよくわからないわけですよ。それがしばらくしてから、ビートルズというグループだということがわかって、なんてかっこいいんだろう、と。ベンチャーズとも違うし、アメリカのほかのポップスとも違うし、これはいったいなんだろうって。その翌年(64年)にアメリカでビートルズ人気が爆発したんですね。映画館に行くとニュース映画でビートルズの騒動をやるわけです。「これかぁ!」と。そのうち『ミュージック・ライフ』でもビートルズがのるようになって買うようになりました。65年になって『ミュージック・ライフ』に星加ルミ子さんがビートルズに会ったという記事が出て、「えーっ!」ってびっくりして、それでいっぺんに私も『ミュージック・ライフ』に入りたいって思うようになっちゃったわけです。
ビートルズの来日公演はもちろんいきましたよ。ライオン歯磨きの懸賞でチケットがあたって。クラス中の同級生の名前を書いて応募したんですけど。学校はいい顔しませんでしたけどね。私立の女子高でしたから、行けば停学、みたいな。いまの若い人に話すとほんとですか? っていわれるけど、ほんとだったんですから。日本国中、ビートルズなんてみるヤカラは不良だ、という雰囲気でしたから。そこがまた、若い子の反発心を生むわけです。私の場合は、母が「うちは許してますから」と言ってくれたので、ありがたかったですよ。それが1966年でした。その年の『ミュージック・ライフ』の9月号、表紙はローリングストーンズで、今でもはっきり覚えてるんですけど、その号の奥付に社員募集の記事が出ていました。これだ!と思いました。学校の担任からは推薦で短大に行きなさいといわれていたんですけど、私は、これ以上勉強するのはごめんだと。とにかく学校と名のつくところには行きたくなかったですね。
なんであんなに自分に自信があったのかわからないんですけど、そのときはぜったい入ると思ってましたから。落ちるわけがないと。なぜなら私は誰よりもビートルズが好きだからと。それだけなんですよね。入社が決まったあとで学校の担任に報告したら、ムッとしてましたね。こんな本出してますって『ミュージック・ライフ』を見せちゃったもんですから、もっとダメでしたよ(笑)。こんなとこにいってどうするんだって。そのときも母が「いいんじゃない、自分で決めたんだから」って言ってくれました。
入社したのは67年ですが最初は経理部に配属されました。新入社員ですぐに編集部に入れるほど甘くはないです。最初はほんとに高校生そのまんま、ファンが入っちゃったようなものでした。星加さんにサインもらってエラい人に怒られたり(笑)。経理部のすぐとなりが編集部だったものですから、編集部のゴミ箱をごそごそあさるわけですよ。「何してんの?」って聞かれて、「この校正刷りもらっていいですか?」なんてやってました。それで星加さんが、この子、音楽がずいぶん好きなんだなと覚えてくれるようになって、かわいがってもらったんです。それから1年たって、編集部員が何人かやめて、そのときに編集部に入りました。

『ミュージック・ライフ』1973年
5月号。デヴィッド・ボウイの初来日特集が組まれている

