そんな鮎川誠とシーナ夫妻は上京後一貫して世田谷区は下北沢界隈に暮らしている。三人の娘さんたちが自立していった今も二人は下北の住民。二人連れ立って粋に下北沢の町を闊歩する姿を目撃した人も少なくないだろう。そんな鮎川に東京という町への思い、下北沢の思い出などを語ってもらった。
―鮎川さんは78年4月に上京されてからずっと東京暮らしなんですよね。
鮎川誠(以下A):そう。シーナ&ロケッツの歴史がそのまま、東京での生活の歴史やから。今となっては生まれ故郷の久留米の町よりも、博多の町よりも、少し暮らしたことがあるシーナの実家の北九州・若松よりも長いし、全部合わせても東京での生活の方が長い。ちょうどもうすぐ30年ですね。
―しかも、鮎川さんは基本的にずっと下北沢周辺にお住まいですよね。ある程度の年齢になると、東京近辺でもちょっと郊外に引っ越される方が多いですが、今も下北から離れていらっしゃらない。
A:いや、田舎に引っ越せたら最高だなって思うよ。海の側とか川の流れてるところとか、そういうところに住めたらええよね。こないだも映画の撮影で二週間強、軽井沢にいたんやけど、すごい素敵やったし、こんなところで暮らせたらな、とは思ったよ。でも、バンドをやってるっちゅうことは、24時間スイッチをパチンと入れたら“Let It Go!”って感じでね(笑)、どこでも出ていける場所にいたい。となると、下北沢、まあ、代沢十字路なんやけど、バットマンにとってのバットケイブみたいもんで、ここから動けない。だいたい出て行くところって渋谷、原宿周辺が多いから便利で。所属しているレコード会社も原宿(表参道)やしね。
―駅前の再開発が計画され、下北沢もかなり変わったと言われますが、30年間暮らしていて、その実感はありますか?
A:いや、意外と変わってないと思うんですよ。まあ、このご時世で変わったことがあるとすれば、大きな家がちっちゃな分譲住宅になるとか、それくらいでね、三軒茶屋や下北沢はそれでもまだ頑張ってる方やと思う。実際、ホント頑張ってほしいしね。ほどよく緑もあるし、田んぼは減ったけど、それでもまだまだ残ってるし。生活があるんよ。昔から住んでる人も多く住んでるしね。
―そもそも、なぜ最初に下北沢を選ばれたのですか?
A:最初、上京してきた時、当時のマネージャーが淡島通り沿いやったんで、レコーディングとかの行き帰りが便利ってことで俺とシーナも近くにしようってことで。その後すぐ代沢十字路にアパート見つけて引っ越した。で、子供たちも最初は実家のじいちゃん、ばあちゃんにみてもらっていたんやけど、こっちに呼び寄せて。全部で3回引っ越した。それも全部同じ町内(笑)。子供たちが転校しないよう探したらそうなったってこともあるんやけどね。
―ミュージシャンが多く暮らす町という印象もあるようですが。
A:ああ、僕らが越してきた頃は、大阪からやってきたミュージシャンが確かに多かったかな。ちょっとした大阪コネクションがあった。確かに大阪弁がよく聞こえたね、昔は(笑)。まあ、それに限らず、劇団関係の人とかも含めてアート関係、まあ、自由業よね(笑)、そういう人たちが多く住んでいたって印象は確かにある。で、僕らもワッと夜になったら繰り出したりした。友達が始めたりしたいろんな店もあったしね。この10年くらいは、子供たちが自立していった代わりに、二匹の大きな犬を飼ってたりもしてたから、遊歩道沿いを散歩して、他の犬の飼い主と仲良くなったりして。またそれまでとは違う生活をするようにもなった。その犬たちも先に死んでしまって、今はまた別の小さな犬の里親になったけど。ただ、まあ、下北沢が生活の場所であることには変わりはなくて。今はレコードとかもインターネットで買える時代やったりするから引きこもりがちやけど、まあ、やっぱりたまには出歩いて人と会わんとね(笑)。
伝説のめんたいロック・バンド、サンハウスのメンバーとして活躍後、シーナ&ロケッツでロックンロールを体現し続ける日本を代表するギタリスト。ミュージシャン以外にも俳優としての一面も持つ。オフィシャルHP→www.rokkets.com
11月18日 福岡DRUM LOGOS
出演:サンハウス a.k.a. Crazy Son Diamond House(柴山俊之・鮎川誠・浦田賢一・奈良敏博)/石橋凌+伊東ミキオ/HEATWAVE /velvet peach seven
(問)TSUKUSU 092-771-9009
- 001 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)
- 002 鈴木慶一(ムーンライダーズ)
- 003 向井秀徳(ZAZEN BOYS)
- 004 デハラユキノリ
(フィギュアイラストレーター) - 005 島津由行(スタイリスト)
- 006 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)
- 007 中山うり
- 008 新元良一(文筆家)

