QUEEN伝説、再び!
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加藤正文(かとう・まさふみ)
ワーナーパイオニアでアルバイトしていたときにレッド・ツェッペリンの初来日を体験。同社入社後、クイーンやディープパープルなどを担当した“伝説の洋楽ディレクター”。



Queen in Vision 2008/クイーンイン・ヴィジョン2008?グレイテストTV&ムーヴィー・ヒッツ Queen/クイーン
EMIミュージック
TOCP-70480 ¥1980(税込)
2/27発売
1 イッツ・ア・ビューティフル・デイ
2 ボーン・トゥ・ラヴ・ユー
3 愛にすべてを
4 ドント・ストップ・ミー・ナウ
5 バイシクル・レース
6 キラー・クイーン
7 手をとりあって(ハイ・ディフィニション・ミックス2005)
8 フラッシュ?伝説ヒーロー
9 ボヘミアン・ラプソディ
10 ウィ・ウィル・ロック・ユー
11 伝説のチャンピオン

2000年、20万枚限定生産アルバムとして発売され、またたく間に完売したQueenタイアップコンピレーションのパワーアップ・バージョン。
2004年以降にTV-CMや映画で使用された名曲11曲を集めた豪華盤。
F1中継番組の新たなテーマ曲としてクイーンによって制作された「フラッシュ?伝説のヒーロー」など、いままでのクイーンコンピには収録されていなかった楽曲も多数収録。
デビュー35周年日本オリジナル企画完全限定盤。


 当時のワーナーは、頑張れば数万枚は売れるだろうという勢いはあったし、クイーンはそのラインのアーティストだという確信はあったんですけどね。ただ会社としては様子見でまだ一押しにはしないみたいな感じだったんですよ。ただ宣伝課長が編成会議の後に「加藤、本当に売れると思うか」って言うから、「はい」って答えたら、宣伝用にTシャツを作ってくれたりとか、営業に4、5人いた同期の連中が「加藤が売れるって言うんなら、俺らで売ってやろう」ってことで応援してくれてね。
 
  雑誌関係では一番最初から大きく扱ってくれたのが『guts(ガッツ)』で、いきなりカラーを何ページかくれたんですよ。"ミュージック・ライフ"は最初、活版モノクロの新人紹介で2分の1ページだったかな。その後読者の反響がどんどん増え出して、『ミュージック・ライフ』でもグラビア・ページで扱ってもらえるようになったんですよ。一つ大きなキッカケになったのは、イギリスから「ライアー」のプロモーション・フィルム(16mm)が届いた時に、『ミュージック・ライフ』の編集部の人を呼んで試写会をやったんです。スタジオにセットを組んだライヴ映像だったんですけど、それがカッコ良かったんで、編集部の東郷さんを始め、みんな乗ってくれて「一緒にやりましょう」みたいな感じになって。それ以降驚くほどバック・オーダーが増えていったんですけどね。

洋楽シングル・チャート1位、初来日が決まり、公演を3日後に控えたある日。
 今でもよく覚えているのは、ファーストの『戦慄の女王』は74年の3月発売だったんだけど、同時期に東芝はバッド・カンパニーのファーストがあって、業界内ではスーパー・グループということもあって圧倒的に向こうの方が評価は高かったですね。実際、イギリスの音楽メディアではクイーンの評価は厳しくて、子供向けだとか言われてましたから。でも音作りや音楽性は決してそんなこと無かったんですけどね。でもイギリスでの評価とは無関係に日本では驚くほど売れたんですよ。そうこうしている内にセカンドも出たんですが、日本ではファーストはイギリスから半年遅れでの発売だったこともあって、僅か数カ月しか間を空けずに出しているんですが、もうセカンドの時は会社のイチ押しになって、イギリスの発売日から大きく遅れることなく発売出来たんですよ。


 それから3作目の『シアー・ハート・アタック』が出る時に「キラー・クイーン」のシングルが届いたんですが、これは一聴して完璧な曲だなと。絶対にチャート1位になるなと確信しましたね。で、リリースに当たって何故か川崎大師にヒット祈願に行こうって話になって(笑)。早朝に死ぬ思いで川崎大師に行ってご祈祷してもらって。それをオリコンの記事にしてもらったりね。なんでそんなことをするのか訳が分らなかったけど、それが功を奏したかどうか本当に1位になって(笑)。
 
 で、来日が決まり、チケットがソールドアウトして、クイーンが来日する3日前に上司に呼び出されたんですよ。で何の話かなと思ったら、明後日から営業所に行ってくれと。最初、言ってる意味が分からなかったんですよ。自分がゼロから手掛けて売った初めてのバンドだったし、そのバンドの初来日公演を3日後に控えてですからね。青天の霹靂ですよ。当然、事前に綿密な打ち合わせも済ませて、後はクイーンの来日を待つばかりだったんですけどね。
 
 クイーンのコンサートは初日だけ、やっぱり自分でやった仕事だから見届けようと思って行きましたよ。複雑な思いを持ちながらも。あの大歓声と演奏を聴いて、心の中では何故か勝ったなみたいな満足感はありましたね。ただそれ以降、自分の中ではクイーンのことは抹殺というか忘れるようにしましたけどね。しばらくはクイーンのレコードは聴かなくなりましたし。

クイーンのメンバーと会ったのは2回目の来日時。マネージャーと意気投合?
 クイーンのメンバーと初めて会ったのは、2度目の来日の時で、私はもうワーナーを辞めていたんですよ。営業所に10カ月いて辞めちゃったんです。で、2回目の来日が決まったときにコンサート・プロモーター側から手伝って欲しいと頼まれて。日本側のアシスタント・ツアー・マネージャーみたいな形で全部一緒に廻ったんですよ。この時は羽田の出迎えからだったんだけど、ファンの数といい、勢いといい、本当に凄くて、もみくちゃにされて。
 
 このツアーはどこの地方に行っても深夜でもホテルの周りにファンがたむろしてるみたいな状況だったんですよ。それから調布の日活スタジオだったと思うけど、そこにステージを組んで、まだ日本に充分な機材がなかった時代だからイギリスから持ち込んだ機材と日本で用意した機材を全部セットアップしたんです。メンバーを連れて大渋滞の中、ハイヤーで行ってね。よく覚えているのは、ブライアン・メイのギター・アンプはVOXのAC30で、それを3台横に並べ、それを3段セットで、そこにそれぞれ1メートルくらいのテープ・エコーを間に全部かませて。サウンド・チェックをやるのかなと思ったら、エンジニアにどう? って聞いて、大丈夫だって確認すると何もせずに帰りますと。えーっ!と思いますよね、普通は(笑)。PAの担当はブライアンの同級生でしたね。スタッフ側のツアー・マネージャーがジミ・ヘンドリックスをやってたジェリー・スティッケルで、個人的にはそっちに興奮しちゃって(笑)。
 

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