
インタビューにもある「自分の信じる音楽、歌を、お客さんに聴いてもらう」という言葉通り、ライブは長谷きよしの音楽活動において大きなウェイトを占める。「デビュー40周年?アルバム発売記念ライヴ」をはじめ、2008年も日本各所でライブをコンスタントに開催し、観客と対峙し続けている。
長谷川きよしのライブ情報について、詳しくは長谷川きよしオフィシャルサイトで。
長谷川きよしデビュー40周年記念アルバム

『40年。まだこれがベストではない。?長谷川きよし ライヴ・レコーディング。?』
発売日2008年10月01日発売
COCP-35130 ¥3,000(税込)
2008年6月に2日間に渡って実際のホールで行われたライブをそのままCDとしてパッケージ。
「別れのサンバ」、「透明なひとときを」といった自身の代表曲に加え、椎名林檎のカヴァーやシャンソン楽曲などを収めたニュー・アルバム。

――その「別れのサンバ」でレコード・デビューされたわけですが。

KH:僕がレコードを出した頃、自分で曲を作って唄う人っていうのは加山雄三と荒木一郎ぐらいしかいませんでした。作曲家の先生が作った曲をありがたくいただいて、プロダクションの言うとおりに唄うスタイルが主流だったんですよ。でも、そういう歌手には絶対なりたくないと思っていたので、〈銀巴里〉で唄ってた時に「レコード出さないか?」って声をかけられても断ってたんです。でもまあ、そのなかで、「自分の作った曲でアルバムを一枚作らないか」って誘ってくださった方がいたんです。自分の好みというのが決して大衆的なものではないというヘンな自信はあったので(笑)、売れるっていうことはぜんぜん考えませんでした。一人でも二人でも「ああ、こんないい音楽があるんだ」って僕と近い感覚の人が日本のどこかで思ってくれれば、それは記念にいいかも知れないと思って、アルバムのレコーディングを引き受けたんです。アルバムが出来上がって、その前にまずシングルを出すことになりまして、スタッフが「別れのサンバ」を選んで出したんです。だけど、案の定、最初はぜんぜん売れなくて、「思った通りだ」なんて思っていたんです。ところが、シングルを出したのが69年7月の終わりなんですけど、それから4か月ぐらいしてから、ラジオの深夜放送でよくかかってるらしいと。当時はラジオの深夜放送が音楽のブームを作る状況でしたから、それをきっかけに「別れのサンバ」がチャートインしたんですね。
――予想外の大ヒットになったわけですね。
KH:自分としては、そんなに売れるもんだとは思ってなかったから、びっくりしました。それで、TVとかラジオの番組に呼ばれるようになったんですけど、「長谷川さん、今日は何を歌いますか?」ってスタッフに訊かれて、まあ、その頃は“「別れのサンバ」の長谷川きよし”という以外に存在意義がなかったにも関わらず「他にもいい歌がいっぱいあるから、今日は別の曲で」って真面目に交渉していました(笑)。当時ね、「TVには出ません」って言ったつもりはないんですけど、そういうことがあったものだから、長谷川きよしは気むずかしくて扱いにくい、みたいなことになっていたようです(笑)。
――そういった反骨精神があったからこそ、今日までやり続けて来られたと思います。それはともかく、長谷川さんはこれまで、とにかくいろんな方と有意義な共演をされてきましたよね。デビュー直後には渡辺貞夫さんや日野皓正さんといったジャズ・プレイヤーともご一緒してますし、もっとも有名なところでは加藤登紀子さんとデュエットした「灰色の瞳」。

KH:これまで共演してきた方々というのは、僕自身が興味を持ってる人となにか作品を作りたいっていう発想で、こちらからアプローチしてかたちになっていったものばかりなんですよ。だから、オトキ(加藤登紀子)さんと共演した時も、僕とオトキさんに共通する興味の対象があったからなんですよ。オトキさんとはその昔から繋がりはあったんですけども、いっしょにコンサートをやろうっていうことになった時に、二人ともフォルクローレっていう音楽に興味を持っていて、それで「灰色の瞳」っていう曲が生まれたんですね。

――79年に出された『遠く離れたおまえに』では、“旅”というものに創作の可能性を求めていますよね。

KH:この作品は今回のライヴ・レコーディングにも繋がるんですが、僕は、キャリアをスタートさせた時から、お客さんのいるところで自分の信じる音楽、歌を聴いてもらうというやり方を貫いてきたところがあるんです。まあ、レコード・デビューしてからはスタジオでレコーディングっていうのが基本になるんですけど、スタジオで機材に囲まれて唄うっていうのがどうも苦手なんですよ。それで、そこから抜け出せる方法、自分らしく唄える場でレコーディングしたいっていう試みをいろいろやってきたんです。でも、なかなかこれぞというものがなかったんですね。そこで、『遠く離れたおまえに』を作るにあたって、旅をしながら、こんな場所でこんな歌を唄いたいっていう気持ちに“自然に”なったところでテープを回すっていうやり方はどうだろうって思いついたんです。それでまあ、国内でもよかったんですけど、どっかで唄ってても人が集まって来たりして、思ってたものとは別の感じになっちゃいそうだし、じゃあいっそのこと海外行こうかってことで、スペインを中心にギター一本持って旅しながら、いろいろ思いついた場所で歌を唄ったんです。
――80年代の後半には、音楽とお芝居とのコラボレーション。
KH:とあるイヴェントに出演した時に、吉行和子さんがゲストでいらしたんです。僕は吉行和子っていう女優に昔から興味を持っていて、単純にファンだったんですよ。それで、本番前の楽屋でご挨拶したんですけど、なにかインパクトを残したいなと思って、ステージで「港町」という曲を唄う時に、「この曲は、今日ゲストにいらっしゃってる吉行和子さんに捧げます」って言って唄ったんです(笑)。そのあと、羽田空港で偶然同じ行き先の飛行機を待っている吉行さんと再会したんですよ。あの時の印象が残っていたかどうかはわかりませんが、吉行さんから声をかけてくださったんです。しかもそのときの飛行機がなにかのトラブルで1時間ぐらい遅れたおかげでお話ができて。その頃僕は、映画とか文学というものの説得力というか、人の気持ちを動かす力というものに興味を持っていて、そういったものに自分が関わってみたいっていうおぼろげながらの希望があったんですね。それで吉行さんに、ミュージカルではなくて、歌手は歌手として自分の専門分野をやって、役者は役者で役を演じて、ひとつの作品とか舞台を作ってみたいと思ってるんですけど?って話をしたら、とても興味を持ってくれて、ぜひやりましょうと言ってくれたんです。実際に形にしたとき、役者の表現方法というか、自分の感情をどう表現していくかっていうあたり、それは僕ら唄い手とはまったく違うものですし、とても刺激になりましたね。



