LIVING LEGEND 伝説人 Vol.3 長谷川きよし
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インタビューにもある「自分の信じる音楽、歌を、お客さんに聴いてもらう」という言葉通り、ライブは長谷きよしの音楽活動において大きなウェイトを占める。「デビュー40周年〜アルバム発売記念ライヴ」をはじめ、2008年も日本各所でライブをコンスタントに開催し、観客と対峙し続けている。

長谷川きよしのライブ情報について、詳しくは長谷川きよしオフィシャルサイトで。

NEW ALBUM

長谷川きよしデビュー40周年記念アルバム

NEW ALBUM

『40年。まだこれがベストではない。〜長谷川きよし ライヴ・レコーディング。〜』

発売日2008年10月01日発売
COCP-35130 ¥3,000(税込)

2008年6月に2日間に渡って実際のホールで行われたライブをそのままCDとしてパッケージ。
「別れのサンバ」、「透明なひとときを」といった自身の代表曲に加え、椎名林檎のカヴァーやシャンソン楽曲などを収めたニュー・アルバム。

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LIVING LEGEND 伝説人 Vol.3 長谷川きよし

 69年、日本のミュージック・シーンにおけるシンガー・ソングライターの先駆けとして、シングル「別れのサンバ」で華々しくデビュー。今年でデビュー40周年を迎えた長谷川きよしさんが、ニュー・アルバム『40年。まだ、これがベストではない。〜長谷川きよし ライヴレコーディング〜』をリリースした。本作には「透明なひとときを」「別れのサンバ」といった自身の代表曲のほか、シャンソンや東京事変「化粧直し」のカヴァーなどを収録。40年のキャリアによって磨かれた深いコクと、年月を重ねても色褪せないフレッシュさに溢れた演奏が楽しめる作品になっている。
あらためて長谷川さんの長いキャリアを振り返るにあたって、今回のアルバムをリリースしたレーベル〈コロムビア*レディメイド〉の主宰である小西康陽氏をはじめ、さまざまな“出会い”のエピソードを軸にしながら、お話しを伺ってみたいと思う。

CHAPTER1 第一章 音楽との出会い、シンガー・ソングライターへ

――長谷川さんの音楽への興味は、12歳の時に手にしたクラシック・ギターが始まり、ということになるんでしょうか?

長谷川きよしさん(以下KH):そうですね。それはそうなんですけど、僕自身は、まず唄うことが大好きで。僕が小学生だった当時は、ラジオもジャンルなんてぜんぜん分けられてなかったから、アメリカのポップスや映画音楽といったように、同じ番組の中でいろんな音楽が聴けたんです。そういう音楽を聴いて覚えて歌うのがまず好きだった。そのうちに、歌の伴奏に興味を持つようになっていったんです。ちょうどその頃、ウクレレがすごく流行っていて、5歳上の兄貴が弾いていたんですけど、僕も真似して弾きながら歌ったりしてました。でも、なんか物足りなくってね。もうちょっと何かないかな、って思ってたところでギターに出会ったんです。それから、クラシック・ギターの先生に就いて、3年半ぐらいみっちりやったんですけど、それぐらいやってるとバッハの曲とか教えられるんですよ。それはもう、かなり練習しないと弾けないレベルのもので。でも、僕はとにかく練習が苦手で(笑)、レッスンの前の日は一夜漬けでやりくりしていたほどだったので、曲が難しくなっていくにつれて融通が利かなくなってきたんです。それでどうしようかなって思っていたんですけど、僕のなかではあくまで歌の伴奏としてのギターっていう意識が強かったから、じゃあ、ギターはここまでにして、歌に専念しようと決心したんです。でも、クラシック・ギターをきちっとやっていたことは、僕にとってとても良かったと思うし、その時に自分が吸収した奏法みたいなものは今でも十分活かされています。

――そして歌手を目指して、高校生の時にシャンソン・コンクールに出場すると。

KH:とにかく、中学生ぐらいの時から、歌を唄ってメシを食っていきたいって勝手に決めてました。どういう方法でっていう具体的な方向性はなかったんですけど(笑)。そんななか、高校に入ってから、なんとかプロに繋がる道を探していた時に「シャンソンのコンクールがあるよ」って友達が教えてくれたんです。もう、とにかくきっかけが欲しいって思っていたから、じゃあ受けてみようと思い立ちました。その頃、自分が好んで唄っていた歌にはシャンソンっぽいものはほとんどなかったんですけど、興味は持っていたので、知り合いにいろいろ教えてもらいました。で、そのなかで、ジルベール・ベコーっていう人の「そして今は」という曲に出会った。「世の中にこんなすごい歌があったんだ!」っていう衝撃を受けて、その曲でコンクールに出たんです。まあ、優勝はしなかったんですけど、4位っていう、実に地味な結果をいただきました(笑)。そのあと、当時、銀座七丁目にあった〈銀巴里〉っていう、シャンソンの殿堂と言われていた(今で言う)シャンソンのライヴハウスで唄うようになったんです。もちろんシャンソンはたくさん唄いましたし、その頃はすでに自分でも作曲していたので、自分で作った曲を唄ったりとか、そうやって唄い始めたのが18歳の夏ですね。

――その頃書かれていたオリジナルの曲はシャンソンだったんですか?

KH:いやいや、初めて作詞作曲した曲は「別れのサンバ」なんですよ。それまでは友達の書いた詞に曲をつけたりしてたんですけど、次第に自分でも詞を書いてみたいと思うようになっていったんです。それで作った最初の曲が「別れのサンバ」。タイトルはサンバですけど、どう聴いてもボサノヴァって感じの曲調で(笑)。僕がもともとヨーロッパ志向で、ボサノヴァをアメリカ経由のブラジル音楽だと認識していたので、それはちょっと……みたいに思っていたんです。やっぱりブラジル土着の音楽といえばサンバだろうって。僕がブラジル音楽に興味を持ったのは「黒いオルフェ」のサウンドトラックで、ああいう人間くささというか土の匂いのする音楽、エネルギッシュでいて哀愁のある感じにすごく惹かれたので、僕の精神はボサノヴァっていうよりサンバだ!ということで、無理矢理「別れのサンバ」っていうタイトルをつけたんです(笑)。

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