
僕がリアルタイムで経験した1950年代後半から1960年代前半の時代、アトランティック・レコードがほかのレーベルと違ったところ。それは、次のようなことです。
ほとんどのインディー(独立)レーベルは、たいてい1種類の音楽をメインに、数名のアーティストを専属にして運営されていました。たいがいのインディーは、経営者が制作プロデューサーを兼ねていた、つまりキーマン一人によるワンマン経営でした。だからこそインディーたりえるのですが。
近頃はダウン・ロードで音楽を買う時代ですからノー・プロブレムかも知れませんが、レコード会社にとって、重要なこと。それは他の商品と同じ。制作・宣伝は勿論ですが、どうやって商品を消費者の手に届けるかという配給業務です。アトランティックの経営陣は、この配給網作りにも熱心でした。そして強力な配給網を作るには、売れる商品を次々に作ることだという黄金律を知っていたのです。
アトランティックは、アーメットの他に、お兄さんそしてクリエイティブの才能ある素晴らしい友人達に恵まれました。
複数のプロデューサーがいたおかげで、一種類の音楽だけでなく、レパートリーの幅を、ブルースからジャズ、ポップ、プログレッシブ・ロックまで、グーンと広げることに成功。そしてヒット・チャートに人気アーティストを次々に送り出し、結果、強い配給網を作り上げました。
業界ではA&Rと呼ばれますが、アーティストを見つけて、育て、歌い手に合う曲を探して、レコードを作る。そして宣伝し売り出し、最後にバランス・シートをチェックするというルーチン作業が巧みに行われ、ヒット曲の連続により事業はますます活性化、アトランティックは大レーベルへと変身したのです。
アーメットのカリスマ性は勿論でしょうが、このレーベルが成功した要因は、結局のところこの「A&Rの成功」という、最も基本的な一点に集約されるのではないでしょうか。
アレレのレ、話がまたまたアカデミックになってしまいましたね。
さてさて、そろそろ僕も夕食の時間ですから、お終いにしましょう。
実は自分でもビックリなのですが、僕もアトランティック・レーベルと、決して無縁ではないのです。
日本で初めてアトランティックを紹介したのは、英国デッカのレーベルLONDONだったことはふれました。
しかしその後、すぐにアメリカのコスデル社というエンタテイメント産業の商社をやっている会社が、日本での配給権を獲得しました。
というと、大変なことのようですが、コスデル社はピンボール・マシーンやジューク・ボックスを扱う会社でした。その関係で、アメリカの独立レーベル配給会社に依頼され、メジャーではない小さいレーベルの権利を日本のレコード会社に販売する仕事をやるようになったのです。ですからけっして大金がからんだ大仕事ということではなかったようです。
レーベルの中にはアトランティックの他に、BIG TOPとかCAMEO/PARKWAYとか、とにかくユニークなレーベルがたくさんありました。日本ビクターがコスデルと契約して、これらの小レーベルを日本に紹介してくれました。
コースターズの「ヤング・ブラッド(ハイティーン気質)」の写真。よくみるとレーベルの隅っこに BY AGREEMENT WITH COSDEL と印字されていますね。
(いま気がついたのですが、この「ヤング・ブラッド」の作詞・作曲、リィバー&ストーラーにドク・ポーマスもクレジットされていますが、印字がPOMUSをPOUMSと間違えていますね。古い話だから、まぁいいか!)
このコスデル社の日本代表だった人が、なんと、私の義理の父なんです。
私が義父を知った頃、彼はすでにコスデルをやめて独立していましたが、いまでもアトランティックときくと、なぜか僕の脳裏では、コスデル、義父、ATCO、ボビー・ダーリンとつながって、♪ドリームラバー♪が鳴りはじめます。
こうして振り返って見るとアトランティック・レコードも僕を育ててくれた大切な化学物質の一つであったことがわかります。僕も、きっと、熱心なアトランティック・レーベル・ファンの皆さんと同じ、アトランティックの子供達の一人、「アト子」なのかも知れません。

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筆者が初めて買ったアトランティック・レコード、クローバーズの「ラブ・ラブ・ラブ」
いちばん下には“Atlantic”のクレジットが。日本盤の解説は野口久光氏
ジャズ関係が左側、R&B関係が右側に書かれた当時のスリーブ(左側の袋)
「Young Blood(ハイティーン気質)」のクレジットの右隅にCOSDEL社の名前が




