語り手/加藤正文 インタビュー・文/保科好宏
レッド・ツェッペリンは音楽だけでなく、オフステージでも暴れまくり、破天荒だった。初来日初日の楽屋でメンバー同士が殴り合いの喧嘩をやったなど、さまざまな伝説が生まれたが、当時のレコード会社関係者が目撃したツェッペリン行状記の一部をここで紹介しよう。
僕がレッド・ツェッペリンと直接関わるようになったのは、大学最後の年、ワーナー・パイオニア(当時のレコード会社名)でアルバイトをしていた時のことでした。高校生の時に武道館でビートルズを観てロックに目覚め、漠然と音楽業界で仕事をしたいと思っていたことからレコード会社でバイトを始めたわけですが、当時は入社試験などあまり関係なく、会社の人と仲良くなり口利きしても らえれば、卒業後に自動的に就職できるような長閑な時代でした。そんなわけで最初、CBSソニー(当時)のバイトから始めたのですが、ツェッペリンの大ファンだったこともあって就職するならワーナーかなと、実にファン気質丸出しな理由で夏前頃からバイトを始めたわけです。
そうしたらタイミング良くツェッペリンの来日が決まり、ツェッペリン側から日本でライヴ・レコーディングをしたいというオファーがあったことから、当時学生バンドをやっていて少し機材に明るいという単純な理由から、単なるバイト、というよりまだ学生気分の抜けない一ファンの僕に、ワーナー側のライヴ録音立会いという願ってもない役割が回ってきたんです(笑)。そりゃ、バイト代ももらえてツェッペリンに会える、サインももらえる、ライヴ音源も聴けると、単なるファンですよ(笑)。仕事という意識など全くないまま、嬉々として毎日を過ごしていました。
初来日したメンバーと初めて会ったのは、ビートルズも泊まったヒルトン・ホテル(当時、溜池近くにあった)での記者会見の時で、ただただポーッと憧れのスターと会ったファンそのものでした。向こうも「何だこの子供は?」くらいに思ってたでしょうね。それから毎日のようにホテルに出掛け、一応何かあった時に備えて待機という事でロビーにいて、メンバーやスタッフを見つけると一緒にお茶を飲んだり、もちろん当時は殆ど英語も話せませんでしたが、近くにいるだけで幸せでしたね。
それである夜、サンプル盤だったか何かを届ける用事で、深夜メンバーやスタッフが集まっていた部屋に行ったんです。部屋に入った瞬間、目にしたのは、ブラウン管が壊されて空洞状態のテレビと、果物や飲み物を壁にぶつけて出来たような汚れ、床にもゴミが散らばり、とてもホテルの部屋とは思えないような惨状でした。その部屋にジミー・ペイジはいなかったのですが、届け物を持ってジミーさんの部屋に行ったら、蝋燭の明かりが灯っていて、何やら瞑想しているような、ちょっと怪しい雰囲気だったんです。それ以前から神秘主義者で魔術師でもあるアレスター・クロウリーのフォロワーで、クロウリーの邸宅を買ったほどの黒魔術マニアなだけに、ちょっと不気味でしたね。それとメンバーとスタッフ部屋が何部屋か、わざとやったとしか思えないんですが、お風呂からお湯を溢れさせて絨毯が完全にズブズブ状態で使えなくなっていたせいか、和室の部屋に大勢で布団を敷いて寝ていたのが何だか不思議な光景でした。
そのヒルトン・ホテルでは、ティールームの前に綺麗な庭があるんですが、メンバーやスタッフが何やら退屈しのぎに企んでいたようで、ある日のこと、庭にある木だったんですが、それを引き抜けるかどうか賭けが始まったんですね。それでまさかと思ったんですが、何とロバート・プラントが見事にそれを根っこごと抱きかかえるようにして引き抜いて取り巻きの大喝采を浴びているわけです(笑)。ホテルの人は真っ青で慌てているんですが、僕らも止めることは出来ないですから、ただ謝るだけですよね。

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初来日時に配られたチラシ。裏には亀渕昭信さんによる日本のリスナーに向けたレッド・ツェッペリンの紹介文がチラシ全面に印刷されている。
