植草甚一生誕100年企画 「ジャズ」みんな植草先生が教えてくれました。… 写真/語り 中平穂積 インタビュー・文/高木信哉 左から野口久光氏、岩波洋三氏、植草先生(新宿「DUG」にて)
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PROFILE
中平穂積
1936年和歌山県生まれ。1960年日本大学芸術学部写真学科卒業、1961年アート・ブレイキー初来日を撮影、ジャズ・フォトグラフのスタートとなる。同年新宿にジャズ喫茶「DIG」開店。1962年新宿伊勢丹で「ジャズアーチスト」写真展開催。1966年アメリカ「ニューポート・ジャズ祭」でジョン・コルトレーンを撮影、感動する。以後、ニューポート・ジャズ祭やヨーロッパのジャズ・フェスティバルをはじめジャズ・フォトグラフを撮り続け、「ジャズの巨人たち」写真展(93年コニカプラザ)、「JAZZ GIANTS 1961 - 2001」(2001年 ミノルタフォトスペース、2002 年青森県南郷村「ジャズの館」、青森市民美術館)などの写真展を開催。 1967年JAZZ BAR「DUG」を開店、1977年「New DUG」、2000年JAZZ BAR「DUG」再オープン。写真集に「JAZZ GIANTS THE 60'S」(講談社)、「JAZZ GIANTS 1961-2002」(東京キララ社/新宿DUGにても販売中)。また中平さんを取り上げた単行本に「新宿DIGDUG物語 中平穂積読本」(高平哲郎編 東京キララ社/新宿DUGにても販売中)

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植草先生の椅子
 村上春樹の小説『ノルウェイの森』には、こんなくだりがある。
「ドイツ語の授業が終わると我々はバスに乗って新宿の町に出て、紀伊国屋書店の裏手の
地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ」。
「僕は黙ってセロニアス・モンクの弾く「ハニサックル・ローズ」を聴いていた」。

 写真家の内藤忠行は、「DUG」の店主、中平穂積のことをこう語っている。
「中平さんは、ジャズ的な生き方と聴き方の見本だった」。

 中平穂積は、和歌山県の本宮町で生まれ、1955年、日大の芸術学部写真学科に入学するため、単身上京する。大学時代は写真の勉強をしながら、ジャズ喫茶に通った。大学を卒業した中平は、1961年11月7日、新宿の「二幸」(現、アルタ)裏の「レストラン・アカシア」(ロール・キャベツで有名)の3階に、ジャズ喫茶「DIG」を開店した。店内には、古時計と中平が撮ったホレス・シルバーなどジャズメンの写真が飾られた。大盛況の「DIG」の店内の雰囲気は、やがて全国のジャズ喫茶のお手本となった。
この「DIG」のオープンには、実は植草甚一(1908-1979)が大きく関わっていた。
中平穂積と植草甚一の出会いは、「植草先生とは、僕が大学生のとき、新宿にあったジャズ喫茶「ポニー」で知り合ったんです。ある日、「ポニー」がすごく混んでいて、植草先生の隣しか空いてなくて、座らせてもらいました。僕は、スイングジャーナルに載っている植草先生のページが大好きでした。文章も面白いし、コラージュも入っていて、嬉しかったです。写真も載っていたので、もちろん顔は知っていました。しかし近寄りがたい人だなと思い込んでいました。僕は、新譜で入ったセシル・テイラーの『ワールド・オブ・セシル・テイラー』(1960年録音)のB面をリクエストしました。ずっと黙って聴いていると、植草先生から「君がリクエストしたの?」って、話しかけられました。植草先生もセシル・テイラーが好きだったんですね」。
マル・ウォルドロン氏(左)と植草先生(右)
 「僕がジャズ喫茶を始めるといったとき、植草先生から「君、素人がやるもんじゃないよ」と止められました。昔、早稲田で音楽喫茶をやって大損したらしいです。でも僕が固く決心しているのを知ると「やんなさい。でもどうせ潰れますよ」っていわれました。
お店の名前を決めるために、先生のお家へ伺うようになりました。いろいろ考えました。例えば「DIG」とか「SOUL」とかです。当時、マイルス・デイビスのアルバム『DIG』(1951年録音)が好きだったので、「DIG」という名前もいいなと思いました。幾つか候補を考え、先生は「「DIG」という名前はジャズを連想するから、これが一番いいね」とおっしゃったので、「DIG」に決めました。お店をオープンすると、植草先生は毎日のようにいらしてくれました。きっと心配してくれたのでしょうね」。
 「大学に入学するとき、父にライカのカメラを買ってもらいました。「DIG」をオープンした後、1962年の正月に、ホレス・シルバーが来日して大人気を博しました。ホレス・シルバーをたくさん撮りました。その写真を早速「DIG」に飾っていたら、ホレス・シルバー本人がお店に来てくれて、お客さんは大喜びでした。3月1日に結婚したのですが、先生に仲人をやってもらいました。仲人なんて、おそらく最初で最後だったと思いますよ。結婚してからは、女房と一緒によくお家へ遊びに行きました。しばらく行かないと機嫌が悪くなってしまうんですよ。あるとき、遊びに行ったら、植草先生が籐で出来た長椅子のようなものに寝ておられました。枕も付いていて、昼寝などに最適です。僕が、「先生、素敵ですね」って言ったら、「あげる」って。あとで、車で取りに伺ったんですが、車の中には入らなかったので、紐で結わいて屋根に乗っけて帰りました。おかげで新車のブルーバードの屋根が傷だらけになってしまいました。今もうちの山中湖の別荘に置いて、大事に使わせてもらっています。その籐の長椅子を見たり、横になると、植草先生のことが思い出されます」。

植草先生が教えてくれたニューヨーク
 「1962年3月、僕は新宿の伊勢丹で、写真展をやりました。これが日本で行われた初めてのジャズの写真展です。写真は、1961年正月のアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの初来日、同年5月のMJQ、そして1962年正月のホレス・シルバーの3グループのものを使いました。ホレス・シルバーからもらったメッセージも展示しました。彼が「DIG」に来てくれたときはまだ写真展は決まってなかったのですが、「いつか使いたい」と思って、大きな紙に書いてもらいました。それを植草先生が見て、とても喜んでくれて、ホレス・シルバーの言葉を翻訳してくれました。先生が自筆で日本文を書いてくれたんですが、「日本に来ることができて嬉しいです。私の写真をこんなにたくさん撮ってくれて。そのうえ多くの日本の方々に見てもらえるなんて、初めてのことです。本当にどうもありがとう」というような内容でした。伊勢丹では、大きな会場を用意してくれたので、LPレコードを掛けて、ジャズ喫茶の雰囲気を再現しました。ジャズメンの写真展は、日本で初めてということもあり、大勢の人々が来てくれました。伊勢丹もすっかり気をよくして、一週間の予定が二週間に延びました」。
 「1966年6月、僕は初めて、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに行きました。「ドクターJAZZ」こと内田修先生と吉祥寺の「ファンキー」の野口伊織さんと3人です。
ニューポート・ジャズ・フェスティバルに行ったあと、ニューヨークに10日間行きました。その後、ヨーロッパへ3週間単身で旅しました。出発前に、植草先生のお家を訪ね、「ニューヨークの事情を教えて欲しい」と教えてもらいました。植草先生は、早速山のように積まれた本からニューヨークの地図を取り出して、鉛筆で書き込みながら解説してくれました。「この通りのこの店のコーヒーが美味しい。最近、新しく出来たパン屋はここです。ビレッジ・バンガードはここです。中平さん、行ってみるといいでしょう」。さすがに詳しいなと、すっかり感心して、「ところで先生は、何回ぐらいニューヨークに行かれたのですか?」って聞くと、「僕は一度も行ったことないよ」って。先生は最高ですね」。

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