植草先生はある種の若者に“癒し”を与えるんじゃないかと思うんですよ。(菊地)
菊地:ただ、相倉先生は基本的に「金がないから楽器が買えない」というのをアイデンティティにされていた。でも、植草先生は基本お金を持ってましたよね。とにかくあらゆるものを買ってやるんだ、みたいな。
相倉:そうですね。植草さんにはそういう良さがありましたよね。でも、そういう意識は僕らの世代から変わりましたね。植草さんは僕より後にジャズについての文章を書き始めましたけど、年齢としてはかなり上だった。でも、輸入文化をいち早く取り入れていくのが勝ち、みたいなところもあったと思うけど、僕はそうじゃなくて。「国も違うし文化も違う。並べてみても仕方ないんだ」ってところが僕らにはあった。例えば穐吉(敏子)さんとか、僕は基本的に仲もいいし評価もしてるんだけど、やっぱりアメリカで評価されるジャズ・ミュージシャンだってところだけがやっぱり認められなかったのね。外国文化に対するその違いは大きいかな。
菊地:植草先生の本には「買い物は楽しいぞ」ってことが書いてありますからね〜(笑)。でも、今はインターネット上に『YOU TUBE』なんてのがあって、金を払わなくても映像が見られるようになっている。植草先生はアメリカでごっそり買い物して船便で後から送ってくるようなことをしていたわけですよね(笑)。しかも、酒、ギャンブル、女の匂いがまったくしない。おそらく、今の若い世代の人たちが植草甚一に興味を持って再評価しようとしているのは、そうやって好きなものを買って、好きなものに囲まれて暮らすような生活に対する憧れもあるだろうし、そこに“癒し”を感じているんじゃないかと思うんですよ。相倉先生は逆に「金がないからレコードを何度も何度も聴くんだ。そこに移入するんだ」ってことを書いてきてらっしゃる。それはヒップホップの若いコたちに共感を与えるものですけど、植草先生はある種の若者に“癒し”を与えるんじゃないかと思うんですよ。
相倉:僕、59年か60年に植草さんと知り合ったの。僕、ある雑誌の“幻の編集長”だったことがあってね。
菊地:『ダウンビート』(アメリカのジャズ雑誌)の日本語版ですよね。
菊地成孔

相倉:そう、それの編集長をやるためにシンコー・ミュージックに入って、で、版権交渉とかもやってね。A4変形サイズを最初に僕が作って中綴じにして、読む本じゃなくてジーパンのケツのポケットに丸めて突っ込む、みたいなヴィジュアル中心の見る本を作ろう、みたいなアイデアも全部出したの。でも、結局シンコーがなんだかんだ口を挟んできてイヤになっちゃって、創刊前の最初の半年だけいてやめちゃったの。だから、“幻の編集長”(笑)。で、その頃に、『ミュージック・ライフ』のジャズの記事で植草さんと会ったんです。面白い人だなあって思いましたね。ジャズの話をするのに、「家の金魚がね…」って言う話をし始めて。で、何かと思ったら、その金魚を飼い始めた時にジャズを聴き始めた、と。そこまで辿りつくのに5分くらいかかった(笑)。あと、一度一緒に古本屋街に行ったこともあったんだけど、本当にたくさん本を積み上げていってどんどん値切るのね。で、僕に「これ、買いなさい」って言うから「先生、いいんですか?」って聞くと、「僕はもう持ってるから。要らないならいいよ」って。そうこうしているうちに道ばたで人に会って、そのまま「さよなら」も言わないでタクシーに乗って行っちゃった。ヘンな人だなあって思ったね。
菊地:「僕はもう持ってるから、キミ買いなさい」っていうのは淀川(長治)先生も言ったらしいですね。



輸入された文化を以前にも増して“動詞化”できるかってことがポイントだと思う。(相倉)
相倉:家に遊びに行くと、切り抜きをこーんなにたくさんくれるんですよ。そんなにいっぱい要らないってくらい。
菊地:“元祖スクラップブック”ですからね。買った雑誌が重すぎて、店の入り口で、要るページだけ破いていたって言いますよね。
相倉:植草さん、原稿は遅かったけどね(笑)。
菊地:相倉先生と植草先生は、実際の年齢は親子ほど離れているわけですけど、ジャズについて書いていた時代は同じなわけで、相倉先生は存在として“アンチ”という立場ではなかったのですか?
相倉久人

相倉:まったくなかったですね。趣味人ですからね、向こうは。僕には僕の文体があったし、向こうとはスタンスが違いましたから。昔、竹中労に言われたことがあるんですよ。「今度、相倉くんの文体で書いてみたよ。形容詞が少ない文体で」って。ああ、そういえばそうかなあって。でも、自分の文体を意識したのはロックについての文章を書くようになってからなんですよね。ロックを書くようになってから意図的に自分の文体を崩してみて。スイスイ読めるから大事なところを読み落としちゃうって言われたことがあったんでね。どんな文章でも一息で書いちゃうんですよ、僕。若い時で、休まずに一気に書ける原稿が(原稿用紙)30枚でしたね。
菊地:そりゃやっぱり“癒し”は感じないですね(笑)。一息ですからね。なるほどね〜、現在のパースペクティヴで語るなら、相倉先生がヒップホップ・クルーのMCだとしたら、植草先生はDJですね。ものを買って集めて切り取って抜いて、ってことをやっていたわけですからね。でも、両極ではあるけど、どっちも現代の若いコに無理なく入っていける感じですよね。どっちも無邪気だし。植草先生は若い頃は結構無茶なことをやってたようですしね。
相倉:僕には出来ないことをやった、という意味では今でもすごく評価してますよ。
菊地:まあ、植草先生は誰にもやれないことをやってましたけどね(笑)…僕はね、ジャズはもうクラシック・カルチャーだと思うんですよ。で、そのクラシック・カルチャーのいい部分をとっていかなきゃ、単なるやせ細りになるって思うんです。で、クラシック・カルチャーのいい部分っていうのは、「右も左もないんだよ」っていうね。それどころか、「狂人も正常人もないよ」とか「ロシア学派もなければパリもない」とかね。アーカイヴの中ではそういう二項対立の分割がなくて全部一個なんだっていうね。そういうものだと思うんです。60年代に、「植草甚一も相倉久人もいいね」なんて言ったらノンポリって言われて粛正されてたわけですけど、今はもう粛正されない時代なんで。そんなことを気にしなくていい時代じゃないですか。1曲目がエリントンで2曲目がセシル・テイラーでその次がルイ・アームストロングでっていうような選曲の番組があってもいいっていうね。フリー・ジャズもモダン・ジャズもないわけで、そうやってプレゼンテーションしていく喜びがジャズにはまだ残されてると思うんですよ。大友良英は高柳昌行門下で、僕は山下洋輔門下だから相容れない、みたいなものはもうないんだってね(笑)。そういうのに抵抗がある人もいるかもしれないですけど、僕はそれでいいと思うし、過去のアーカイヴがやせ細るどころか、むしろ豊かになると思うんですよ。ロックでそういことができるかどうか、1曲目はビル・ヘイリーで2曲目がオアシスで3曲目はビョークで、みたいな聴き方ができるかどうかはわからないですけど、ジャズではそれが出来るんですよね。新しい聴き方があるとしたら、クラブ・ジャズも含めて混ぜていっていくことじゃないかと。
相倉:うん、確かにアーカイヴ問題は重要でね。いったんアーカイヴになると、もう新旧の差はないんですよね。音源のデータとしてあがってくれば古いも新しいもない。ただ、なかなかここはジャズ・ファンにはわかってもらえないんだよね。
菊地:もう少しカメラを引いてみればわかることなんですよ。例えば、ジャズ、ジャズって近くで見ていても、ちょっと離れてみればそれはヒップホップだし、ヒップホップの人たちの服がダブダブなのはビバップの人たちの服がダブダブなのと同じよって言えると思うし。ジャンプ・ミュージックとスカもつながってるし。一方、白人ジャズとボサ・ノヴァとはつながってるってことも言えるしね。
相倉:僕はね、輸入された文化を以前にも増して“動詞化”できるかってことがポイントだと思うのね。でも、日本ではどうしても“名詞”になっている。だから、ジャズもジャズという小さな箱に入ってしまうんだと思うんですよ。日本人のジャズ好きが何かをケナす時によく使う常套句があるじゃないですか。「あんなものはジャズじゃない」っていうね。でも、あんな言葉は意味ないんですよ。誰もジャズに奉仕するためにジャズやってるんじゃないですから。それをたまたま誰かがジャズという名詞の箱に入れちゃうってだけで。で、あげくにはクロスオーバーなんて箱までできちゃう。そういうのを崩して行かないとダメですよね。まあ、僕は仕事が来ないと自分からは動かない人なんで、自分から率先してはやらないですけどね(笑)。でも、菊地くんのマイルスの本、楽しみにしていますよ。
菊地:ありがとうございます!

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