
相倉久人(あいくらひさと)
1931年東京都生まれ。東京大学文学部在学中からジャズに傾倒し評論家活動を開始。様々なジャズ・コンサートなどで司会業を務めたり、大学の講師なども歴任しながら、近年はロック、ポップスなど幅広いポピュラー音楽の評論を手掛けている。著書に『ジャズからの出発』『ジャズからの挨拶』など。近著は『相倉久人の70年代ロック&ポップス教養講座』(音楽出版社)。
1931年東京都生まれ。東京大学文学部在学中からジャズに傾倒し評論家活動を開始。様々なジャズ・コンサートなどで司会業を務めたり、大学の講師なども歴任しながら、近年はロック、ポップスなど幅広いポピュラー音楽の評論を手掛けている。著書に『ジャズからの出発』『ジャズからの挨拶』など。近著は『相倉久人の70年代ロック&ポップス教養講座』(音楽出版社)。
菊地:平岡(正明)先生も、「俺はマイルスの考えていることが全部わかる」と書いてましたね(笑)。文学に関しては昔から研究、分析ってあるんですけど、音楽に関してそういう評論が始まったのってそもそもいつ頃のことなんですか?
相倉:ジャズ評論が始まったのはスウィング時代なんです。1935年にジャズ雑誌の『メトロノーム』が出るんですけど、ただ、もともとは『メトロノーム』は19世紀からあるもので、ジャズの雑誌になったのが35年なんですね。まさにスウィングの全盛期、この時代にスウィングがアメリカの国民音楽になったので、ヨーロッパでは研究する流れが浮かびあがってくるんです。
菊地:戦前からあったわけですね。ジャズの場合、包括的なものが多いですけど、最初はどんな感じで始まったんですか?
相倉:最初は楽曲研究でしたね。
菊地:へえ! 楽曲研究ですか!
相倉:それでも戦前と戦後では全然在り方が違う。戦前はジャズ・ソングですよね。昔、大橋巨泉と大議論したことがあるんだけど、日本の最大のジャズ・シンガーは誰か?という話になって、これは巨泉と意見が一致したんだけど、それはエノケンだ、と。エノケンのアドリブとかはまさにジャズなんですよ。ただ、その頃、まだ「榎本健一伝」みたいなものもなくて、瀬川昌久さんが戦後にようやく出されたくらい。
菊地:瀬川先生ね! こないだお会いしましたけど、瀬川先生の『ジャズで踊って(舶来音楽芸能史)』は名著ですよね。
相倉:戦前の日本のジャズ・シーンを知っていらっしゃるのはもう瀬川さんくらいしかいらっしゃらないですからね。
菊地:モダン期になってからモダン・ジャズについて書こうとされていた方って、相倉先生以外にどのくらいいらっしゃったんですか?
相倉:久保田二郎、いソノてルヲ、なんて人がいましたが、けっこう少なかったですよ。実は、“狙い目だ”と思って始めたところもあるくらい(笑)。クラシックは大変だから、モダン・ジャズなら本気で目指せばできるかな?って思っていたのが一つね。あとは、僕は本当はミュージシャンの方になりたかったの。でも貧乏だったから楽器なんて買えないでしょ。それで書き始めたっていうのが最初。だって、評論なんて絶対にやりたくなかったもの。「楽器やらずにジャズになってやろう」、「演奏しているヤツより俺の方がジャズだ!」ってね。

菊地成孔(きくちなるよし)
1963年千葉県生まれ。サックス・プレイヤーとして数々のセッションをこなしながら、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンや東京ザヴィヌルバッハ、スパンク・ハッピーなど主に90年代以降は自身のリーダー・バンドでの活動を増やしていく。自ら“ゴダール学部マイルス学科卒業”とうそぶくほど、ゴダールとマイルス・デイヴィスの造詣に深く、ユニークな語り口が魅力的なことから著書、寄稿も多い。
オフィシャルHP www.kikuchinaruyoshi.com
1963年千葉県生まれ。サックス・プレイヤーとして数々のセッションをこなしながら、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンや東京ザヴィヌルバッハ、スパンク・ハッピーなど主に90年代以降は自身のリーダー・バンドでの活動を増やしていく。自ら“ゴダール学部マイルス学科卒業”とうそぶくほど、ゴダールとマイルス・デイヴィスの造詣に深く、ユニークな語り口が魅力的なことから著書、寄稿も多い。
オフィシャルHP www.kikuchinaruyoshi.com

The revolution will not be computerized/Naruyoshi Kikuchi DUB SEXTET
ewe records/EWCD-0141
ewe records/EWCD-0141
3月12日(水)福岡 Gate's7
3月13日(木)岡山 ルネスホール
3月15日(土)名古屋 名古屋ブルーノート
3月16日(日)神戸 クラブ月世界
3月18日(火)仙台 せんだいメディアテーク
3月19日(水)東京 東京キネマ倶楽部
4月17日(木)横浜 モーション・ブルー・ヨコハマ
3月13日(木)岡山 ルネスホール
3月15日(土)名古屋 名古屋ブルーノート
3月16日(日)神戸 クラブ月世界
3月18日(火)仙台 せんだいメディアテーク
3月19日(水)東京 東京キネマ倶楽部
4月17日(木)横浜 モーション・ブルー・ヨコハマ
菊地:ジャズ評論というより、ジャズそのものだ、というなり切り型ですね。でも、それってモダン・ジャズのひな形そのものですよね。しゃべってること自体が演奏と同じ。ジャズの演奏聴くと盛り上がっちゃうのと同じで、先生の講演を聴くと同じように盛り上がっちゃう。そこへ行くと、植草甚一さんは「俺はクリティックだよ」って立場を代表されている方だったんじゃないかと思うんですよね。
相倉:でもね、あの人の文章は引用しようと思ってもできない。つまり、どこまでが、あの人自身が輸入雑誌などを読んだことをそのまま書いていて、どこからが彼の自分の言葉なのかの境目がわからない(笑)。しかも、植草さんの場合はそれが芸になっている。普通だったらただ剽窃で終わっちゃうわけですけど、それすらもわからない。そういう語り口は一つの芸なんですよ。
菊地:相倉先生はレコードの中に入って行かれたけど、植草さんは輸入雑誌とかの一次資料の中に入っていっちゃったと(笑)。
相倉:当時はね、向こうの出版社と直接に契約して取り寄せるから、輸入されて店に並んでから買って読むより1、2週間早く読めたんです。で、すぐ読んだことを書いちゃうと、それはその人のモノになっちゃうんですよ。先にやった者の勝ちっていうね。
菊地:言ってみればDJカルチャーと同じですね。一次資料のパクり。今のポップ・ミュージックのパクりを批判するなら、植草さんの一次資料のパクりはどうなるんだ?ってね。それと同じで、マイルスは自分の音楽がパクられたって文句言ってましたけど、自分だって最初は白人音楽からパクってたじゃねーかってことになっちゃう(笑)。
相倉:植草さんの文章は非常にテンポの遅いジャズみたいなものでね(笑)。
菊地:それで思ったんですけど、植草さんの文章には“癒し”があるんですよ。元祖スローライフ。外国の文化を紹介しますよ、みたいな懐かしさと優しさがある。それで良かった時代ですよね。
相倉:あとは消化の具合ですよね。植草さんくらいこなれていればいいっていう。
菊地:移入できる無邪気さっていうのはありますよね。相倉先生の文章にもそれは感じるし、マイルスにも感じる。マイルスはあらゆるものに移入してましたからね。フランク・シナトラに移入し、女、つまり奥さんにも移入して(笑)。そこが人を癒すし、興奮させるところだと思うんですけどね。
相倉:アートとはそういうものですからね。じゃなきゃ面白くないですし。
菊地:思うんですけど、結局、“移入する人”っていうのは、“移入させる人”でもあると思うんですよ。マイルスも植草さんも、相倉先生もそうですけど、スターっていうのは遠くの星に移入して、自分が結局星になっちゃう。で、その星に今度は別の人が移入していくという。
相倉:それはありますね。例えば僕自身の話をすれば、そういう移入みたいなことになっていったのって、やっぱり『銀巴里』で司会をするようになってからなんですよね。
菊地:ああ! なんつったって“MC相倉”ですからね(笑)。
相倉:ステージの上からしゃべっていると、客席とステージの関係がよく見えるんですよね。音楽は演奏している人だけのものじゃない、こういうところで聴いている人たちとの関係でしかないんだ、ということがハッキリと体感できるんですよ。聴く人がいるからこそ音楽であり、どんなに優れたものでも聴く人がいなければそれは音楽じゃないって。だから聴き方によって音楽は変わってくるんですよね。10人聴く人がいたとしたら、10種類の音楽がある。それは司会をやっていて気づいたことですね。
菊地:今、オバマが演説したCDがグラミー賞を穫って話題になってますけど、話では知っていても、相倉先生の司会って実際に聴いたことないんですよ。一番有名なのは、ジョン・コルトレーンの『ライヴ・イン・トーキョー』で、あそこには先生のMCが収録されてますけど、他にはないんですか?
相倉:いや、ほとんど残ってないですね。
菊地:残念ですねえ。先生のお話を聞いていると、毎回思うんですけど、司会業をすることによって演奏を盛り上げ、客席を盛り上げ、ジャズそのものになり切ったという側面が強くあると思うんですよ。
相倉:そうですね。
菊地:それって、今でいうヒップホップ・クルーのMCと同じじゃないですか(笑)。ヒップホップ・クルーには必ずMCがいて、そのMCは基本チームの中にいるわけですけど、相倉先生はバンド・メンバーではなかったものの、立派なMCだったと思うんですよね。それってヒップホップ、つまり今日のブラック・ミュージックの在り方と同じじゃないですか。だから“MC相倉”(笑)。
———つまり、ジャズと今日のヒップホップは底辺で同じブラック・ミュージックの系譜として確実につながっていて、相倉さんのMCはそれを証明するものでもある、と。
菊地:そうそうそう。実際、ジャズとヒップホップはつながってるわけだし、相倉先生も黒っぽいもん(笑)。昔の写真とかも黒人みたい。今でこそ、ニコニコした好々爺って感じですけど、昔はホントに怖かったって聞きますし、それこそ反抗したら粛正に遭う、みたいな(笑)。
相倉:それは、そういうイメージを作り上げた人がいただけですよ(笑)。僕は、アンコールがない時に客を納得させて帰らせる司会の名人でしたからね(笑)。でも、当時は出たとこ勝負だったんですよ。かつて、大晦日の晩、山下洋輔がトリだった時、みんななかなか帰らなくて、どうしよう?って時になって、「皆さん、今は元日の朝6時半です。“もっと聴きたいな”という気持ちを抱えて外に出ると、もしかすると、いい初日の出が見られるかもしれませんよ。では、また来年会いましょう〜!」って言って引っ込んじゃった。でも、それでみんな納得して帰りましたからね。山下には「あれはまったくジャズそのものだ」って言われましたけどね。
菊地:やっぱりそれヒップホップのMCですよ、それ(笑)。

