
今グールドが生きていたとすれば、76歳になっている。カナダにはグールドと親交のあった人々が活躍し、彼の意志を継いでいるという。今回、そんな人たちに話を聞くことができた。
写真/田頭真理子 コーディネーター/ミッキー・ナカムラ 取材協力/オンタリオ州観光局グールドがよく通ったというダイナー「フラン」で話しを聞いたのはグレン・グールド財団のブライアンさんとレイさん。1983年に設立された同財団では、グールドに関する貴重な資料を収集し、数々のイベントや美術館での展示などを通して、情報を発信し続けている。
??グールドは、どんな人でしたか?
レイ(以下R):「奇想天外だとか変わり者だとか孤独だとか言われているけれど、そんなことはない。フランのようなダイナーが好きなのも、周りの人々を観察しながら会話に聞き入ったりするのが好きだからなんだ。ハイウェイを飛ばしレストランまで足を運ぶことも多かったよ。」
ちなみにグールドの好物はスクランブルエッグだったそう。
R:「エンジニアとしてグールドの楽器を運び始めたのが、彼との出会いです。彼はとっても電話が好きで、何かあるとすぐに電話してくるんです。朝の7時(寝る時間)、夕方の4時(主に仕事の話し)、夜11時(仕事や今日あったこと)、明け方2時(今日のニュースについて)。という感じで、1日に何度も(笑)。彼はずっと犬を飼っていて・・・ジェネラル・マッカーサーっていう名前だったかな?虐げられた犬たちのためにマニトゥーリン・アイランドに『パピー・ファーム』を作るのが夢だったようです。とてもユーモアのある、優しい人でした」
--グールドとカナダの音楽的関係は?
ブライアン(以下B):「まず、彼の父と母の存在が音楽をやるうえで一番重要な環境だったと思います。そして、カナダの寒い気候。暖かいと開放的に、寒いとスピリチュアルなものに向かっていくように・・・。グールドのラジオドキュメンタリー『アイディア・オブ・ノース』のきっかけにもなったように、北、寒さ、というのは彼の音楽性にとても密接な関係にあるのではないでしょうか。活躍の場が広がってからも終生をトロントで過したのも、カナダの自然からインスピレーションを得ていたからだと思います」
--財団ではどんなことを行っているのでしょうか。
B:「レコード、WEB、ニュースレターなどの情報提供によってグールドの功績を未来に伝えていくことが大切だと思っています。グレン・グールド賞を通して、音楽に関わる優れた人たちの発掘・発展にも力を入れています。2008年は、長年にわたって音楽を通して子供達を助ける活動を行っている、ベネズエラのホセ・アントニオ・アブレウさんが受賞しました。過去に日本人作曲家の武満徹さんが受賞したこともあります」
--グールドは日本人にもとても人気があります。
B:「財団には、日本のファンからも熱心な手紙が届きます。グールドの音楽性を理解している内容にとても驚かされるんです。日本のファンは、どこか精神的に通じるものがあるのかもしれませんね」
トロントから車で約2時間。グールドが幼年時代を過ごしたアックスブリッジを訪ねた。迎えてくれたのはグールドの叔母であるアイリーンさん、ベビーシッターだったエドナーさん、当時、近所に住んでいたルースさんの3名。年齢的なことから、取材はもう受けられないとの話しも出たのだが、はるばる日本から来たのならば特別に…と会うことができた。

左より、グールドの祖父の家の隣に住んでいたルース・ダックワースさん、グールドの叔母アイリーン・ベイリー・グールドさん、ベビーシッターだったエドナー・メイヤーズさん。トリニティー・チャーチにて。
--ここは、グールドのお祖父さんの街ですよね。
アイリーン(以下Ei):「ええ。グールド親子は週末にこの街に来て、それからシムコー湖畔のコテージに遊びに行っていました。お母さんがトリニティー・チャーチのバイブルクラスに入っていたのがきっかけで、彼も小さい時にこの教会でパイプオルガンを弾いたこともあったんですよ」
--どんな子供でしたか?
エドナー(以下Ed):「ピアノが大好きで、ここでもコテージでも毎日ずっとピアノを弾いていました」
Ei:「ピアノに熱中するあまり、自分でピアノを作ろうと思いたっていろいろと考えていたこともあるくらいです」
ルース(以下R):「「犬や鳥を飼っていて、動物や自然が大好きでした」
Ei:「コテージでは時々釣りもしていたんだけれど、魚を殺すのが嫌で魚は戻していたわね」
--街の美術館に、写真が寄贈されていましたね。
Ei:「グールドはカナダの偉大なピアニストです。ですから家族が持っていた個人的な資料を寄贈したのです。グールドは天才だとか変わり者だとか、いろいろな評価があるけれども、彼のプライバシーは守らなければならないと思っています」




