大特集 ビートルズと英国 / MYジョン・レノンMYジョン・レノン

イングリッシュ・マン・イン・ニューヨーク/ボブ・グルーエン

1980年10月9日、ジョン・レノンの40歳の誕生日の朝。ニューヨークにあるヒット・ファクトリー・スタジオからの帰り道で私は、ジョンがアメリカでの居住権を取得してから5年経ち、市民権を得ることもできるようになったことに気がついた。そして、アメリカ国籍を取得する意思があるかどうかを彼に尋ねてみると、私の質問に対してさも驚いた表情で、背筋を正してこう答えたのだ。「まさか! 私は英国人だ、世界中のどこでも自分にとって居心地のいい場所に住めるのが英国人の特権だ!」と。

1971年、ジョンとヨーコが最初にニューヨークに引っ越してきたとき、いろいろな友人たちからその噂を聞き、私の家のすぐそばにあるグリニッジ・ビレッジのフラットに住み始めたことを知った。通りに入口が面したロフトのように大きな1階のフラットを彼らは借りていた。狭い路地を入ったところに大きな白い部屋があり、その真ん中に置かれた大きなベッドに座っていつもジョンとヨーコは人を迎えていた。ヨーコはイギリスで個展を行う前からすでに名が知られていたので、ニューヨークでもすぐに前衛アートシーンに溶け込んでいた。実際、ジョンがヨーコに出会ったのは、ロンドンのインディカ・ギャラリーで行われた彼女の初めての個展会場だった。

イギリスでふたりは付き合い始め、ロンドンの小さなアパートメントに一緒に住んだのち、すぐにティッテンハースト・パークの大きな邸宅に引っ越した。ジョンとヨーコはイギリスのマスコミから絶えず追い回されていたので、地方の邸宅に住むほうが快適だと考えたようだ。ニューヨークに移ると、ジョンはニューヨークのアートシーンで知り合ったヨーコの友人たちに会うことを楽しみ、自由な思想の住人たちで知られるグリニッジ・ビレッジでの生活をとても楽しんでいた。近所をふたりが自転車で走る姿もよく見かけられた。

それから1年ほど経ち、ジョンとヨーコはセントラル・パークの隣にあるダコタ・アパートメントに引っ越した。ジョンはすっかりニューヨークになじみ、よく公園を散歩したり、角のコーヒーショップで誰に邪魔されることなく新聞を読んだりもしていた。しかしながら、彼の英国的習慣は続いていた。いつでも紅茶のカップを持ち、イギリスのコメディ番組を楽しみ、決してリバプールのアクセントが消えることがなかったように。

73年の夏、私は“New York City”と書かれたTシャツをジョンにプレゼントした。自分がいつも着ていたTシャツと同じようなタイプなのだが、ニューヨークでの生活になじんだ様子のジョンが喜ぶだろうと考えたからだ。1年後に屋上で彼を撮影したとき、そのTシャツをまだ持っているか尋ねてみた。彼はニューヨークに住む自分があのTシャツを着ているのは当然だといわんばかりに、今や有名になった例の写真に収まったのだ。そして数年後、ジョンに悲劇的な死が訪れ、墓に写真を提供して欲しいと頼まれたとき、私はあのときに屋上で撮影した写真を1枚選んだ。ジョンがニューヨーカーであり、誇りを持ってこの街に住んでいたことをみんなに覚えておいて欲しかったからだ。

ジョンとヨーコがイギリスを離れてニューヨークに住み始めたのは、マスコミが意味もなく彼らを批判し続けていたからだと彼は語っていた。1980年に、ジョンとヨーコのダイアローグソングを集めたアルバム『ダブル・ファンタジー』が発表されたとき、好意的なレビューにヨーコの歌への賞賛が書かれているのを見て、ジョンはとても喜んでいた。死の数日前、私が最後に彼と会ったとき、彼はニューアルバムのプロモーションのために世界ツアーを行うという予定を話してくれた。ジョンは自分たちへのイギリスでの否定的な評判が消えていることを願い、再び祖国でステージに立つことを心から楽しみにしていたのだ。

訳=中島良平

PROFILE

ボブ・グルーエン Bob Gruen(写真家)
1945年10月23日生まれ。1970年代、ニューヨークに居を構えたジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻と親交を持つようになり、夫妻のプライベートライフやミック・ジャガー、アンディ・ウォーホルたちとの交友を記録した貴重な写真をレンズに収める。またクラッシュやセックスピストルズ、エルトン・ジョン、ローリングストーンズなどのツアー同行取材を行なうなど、世界でもっとも有名なロック写真家の一人として活躍している。写真集、著書に『SOMETIME IN NEW YORK CITY』(1995年)、『The Clash』(2004年)、『John Lennon – The New York Years』(2005年)など

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