加藤和彦さんは1960年代後半から70年代前半にかけてロンドンへ幾度も旅をしている。Tレックスなどのグラム・ロックが始まり、また、ブライアン・フェリーのロキシー・ミュージック、ビバやミスター・フリーダムといったロンドン・ポップのファッションがムーブメントだった頃だ。その影響を受けて、高橋幸宏氏、小原礼氏、高中正義氏を誘いサディスティック・ミカ・バンドの結成に至る。名盤『黒船』(74年)のレコーディングには
ロンドンからクリス・トーマス氏を招いたが、当時外人プロデューサーを起用する前例はほとんどなかった。クリス・トーマス氏といえばビートルズの『ザ・ビートルズ』(68年)にアシスタント・プロデューサ−として携わっているが、さて今回は加藤さんにサディスティック・ミカ・バンド、ロンドン、そしてビートルズのことをうかがった。
―クリス・トーマス氏が『黒船』に関係するいきさつを教えてください。
加藤和彦さん(以下Kと省略):フォーク・クルセダーズを解散(68年)後、ロンドンへ初めて行って、その頃のロンドンはファッションも音楽業界もエネルギーに溢れ、それを取り巻くカメラマンやアーティストたちも一丸となってすごい熱気があった。それが面白くてしょっちゅう行くようになり、行けばひと月、ふた月とフラットを借りてね。そのうちいろいろと知り合いが増え、ロキシー・ミュージックをはじめたブライアン・フェリーと知り合って、クリスは彼から紹介され、そのとき、確かミカ・バン(サディスティック・ミカ・バンド 以下同)のファーストアルバムを手渡したら、まもなくして彼から仕事をやってみたいと言われたのかな。
―クリス・トーマス氏が『ホワイト・アルバム』(注・『ホワイト・アルバム』は通称で正式タイトルは『ザ・ビートルズ』)のアシスタント・プロデューサ−をしてビートルズにかかわったことがあるというのはご存知だったのですか?
K:もちろん『ホワイト・アルバム』ばかりではなく、その後の『レット・イット・ビー』(70年)でもプロデューサーのフィル・スペクターを手伝ったことも聞いたけど、それは重用視しなかった。僕はそのときのロンドンの音楽シーンを肌で感じているうちにやりたい方向性が見えていたし、クリスが、僕らのやりたい音楽を理解してくれ、また彼が、今までなかったことをやりたいという僕らと同じ熱意があったから『黒船』がスタートしたと思う。
―ところで、加藤さんがビートルズを聴いたのはいつ頃ですか?
K:ビートルズのデビューは1962年だから、その翌々年頃にはラジオから流れて来た「ラブ・ミー・ドゥ」(62年)や「プリーズ・プリーズ・ミー」(63年)は聴いています。でも、さほど引っかかるほどではなかった。というのは、僕は、音楽は遅咲きな方で、その頃、ビートルズに興味がなかったのではなく、音楽全般になかった。聴くようになったのはフォークルのアマチュアの活動を始めた頃(65年)からで、聴きだしてからはフェイセズやキンクスが好きで、あの頃(60年代後半)はUKロックは山ほど聴いていたのでビートルズは好きというより資料的な感覚と言ったほうがあてはまるかな。
「ザ・ビートルズ(1968年)/ザ・ビートルズ」
EMIミュージック・ジャパン
ビートルズ初の2枚組アルバム(1968年)。「The Beatles」の文字以外は白無地のレコード・ジャケットから「ホワイト・アルバム」と呼ばれている
「レット・イット・ビー...ネイキッド/
ザ・ビートルズ」
EMIミュージック・ジャパン
『レット・イット・ビー』(1970年)からフィル・スペクターによって付け加えられたオーケストレーションなどの編集作業を取り除き、再編集されたもの
