アビイ・ロードの歩き方―私のビートルズとロンドン―THE WAY TO ABBEY ROAD『アビイ・ロード』のカヴァーを見ていちどはここを歩いてみたいと思った人からとくに何も思わなかった人まで、リアル・ピープルにきくそれぞれのビートルズ、そしてそれぞれのロンドン。

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#69 ビートルズは私の心のドアを開けてくれた鍵 (木村至信)

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1.ジョンが生きていたらこの映画も作らせなかったでしょうけど、これがなかったら私はジョンに出会ってないんです。ビートルズの初期からよくこれだけの映像が残ってましたよね。このビデオを握り締めていつか必ずリバプールに行きたいです。ペニー・レインで、ソウルフードのおにぎりでも食べます。中身は、ストロベリージャムでは気持ち悪いので梅干で。
2.ビートルズをジャズにアレンジして弾くという譜面です。DNA研究の仕事で医者としてアメリカに行っていたときに、ヒューストンで買いました。譜面を見るのが好きなんです。私はバンドの人間なのでソロではあまりやらないんですが、いつかジャズでやってみたいですね。「for Jazz」なのに表紙がジョンなのが面白いですね。
3.「夕暮れレノン」というシングルを発売しました。多感だったころにジョン・レノンを聴いて、怒りとかどうにもならない感情がたまってしまうと、ものを壊したりするのじゃなくて、昇華させるでも土に埋めるでもいいんですけど、さよならすることをジョンの曲を聴きながら、近所の多摩川でやってたんです。それは敗北ではなくて、でもカタルシスっていうほど暴力的というかすべてを出し切るというものでもなくて、認識・受け止めることだったんですよね。何で悔しいんだろう、何でこんなに寂しいんだろう、ということを受け止めるにはジョンが必要だったんですね。

 高校のときに、少しとんがってると言いますか、すごくひねくれている時期がありました。大好きな人形や小さい頃から大切にしていたものを壊してみたり、恋愛でも相手を傷つけて失わないとそのありがたみや愛が確かめられないんです。ジョンは子どもの頃、ご両親が離婚して、お母さんにはバンジョーを教えてもらったのに一緒に住まないんですよね。私はずっと愛されてましたけど、「愛されたい」っていう言葉ってそうやって出てくるんだな、と思いました。

 友達がバンドをやろうというので、みようみまねでやっているうちにうまくいってたんです。バンド仲間がこんなビデオがあると言って見せてくれたのが映画『イマジン』。「多分今の至信に足りないもの、出したい答えをこの人が教えてくれる、そんなにいつもナイフを振り回すみたいな生き方をしなくていいんだよ、愛されたいって思っていいんじゃない?」って。映画のはじまりでジョンが「僕は愛されたい反抗者だ」というのを見て「この人誰?」って聞いたら「ジョン・レノン、ビートルズの人だよ」と言われて、「この人と深く関わっていきたい」と思ったんです。それから譜面を買ったり、音源を買って聴きはじめました。

 一時は「ウーマン」ばかり聴いていました。映画の「ウーマン」のシーンでピアノを弾いて、それからヨーコと抱き合ってキスをするシーンがものすごくあったかくてきれいです。「ウーマン」を流して、夜景を見せて、その女の子が落ちなかったらもうあきらめた方がいいというくらい、私はあの曲にすべてが込められてると思います。あんなに優しい歌はありませんから。他にも「ジェラス・ガイ」とか「ビューティフル・ボーイ」などの優しいジョンが好きです。

 大学に入るとお金を貯めて、イギリスに行きました。ヒースロー空港に着いて、「さあリバプールに行くぞ」と興奮していたら、ロンドンの小さなツアー会社の受付の人に「リバプールはまったく普通の街だよ。もし、あなたにとってビートルズが神様なら、がっかりするから行かない方がいい。あなたの中でビートルズが友達になったら普通に行ってごらん」て言われたんですよ。定員がいっぱいだったのかもしれないし、私が何泊もするつもりだったのでそういうツアーがなかったのかもしれません。代わりに普通にバッキンガム宮殿を見たり、フィッシュアンドチップスを食べたりロンドン塔を見たりしました。でも曇り空と二階建てバスは、これがイギリスなんだと思いました。ビートルズの決まった形に解決しないコード進行も、いかにもイギリスでしょう。7月か8月でしたが、持っていった半袖では寒く、青空は見ませんでした。

 在学中、インド学ゼミナールに入って、論文を書くために一ヶ月インドに旅をしたこともありました。私はヒンドゥーをテーマにして、カルカッタからあちこち回りました。医学部だったので、マザー・テレサの「死を待つ人の家」という隔離施設で、死を待つ人々とどう接していくかということも学びました。ヒンドゥーの寺院は、一日修行させてくださいと言うと入れてもらえるので、修行として掃除をしてました。お祈りの時間にはヒンドゥーのやり方で祈るんですが、結局彼らが求めていた精神世界は私には見えませんでした。まだ、私にとってビートルズは友達にはなれていないんですね。

 ビートルズって、悲しいときもうれしいときも、怒ってるときも何かを憎んでるときも全部に対応してくれますよね。ビートルズがいなかったら、違う人間になってたかもしれません。聴く人の音楽性より人間性に影響を与えるんです。どうしてでしょうね。小さい頃から育まれた思いや、あの曇り空などが才能を育てたのかもしれません。よくビートルズの奇跡は天才が二人いることだって言いますが、それだけじゃない気がします。ヨーロッパ人が作ったというか、イギリスの文化や風土と、あの4人が出会ったことによる特別なものですよね。ペニー・レインとかストロベリー・フィールズとか、架空のものだと思っていたのにちゃんとあって、日本で言うと「津軽海峡冬景色」とかそういうことですよね。すごいなあと思います。

 私にとってのビートルズは鍵です。心のドアを開けてくれた鍵。恋人であり友達でありライバルでもあり、先生。あのままだったら私は多分死んでました。自分がいていいんだ、って許してもらった気がしたんです。醜い感情も何も、かっこ悪いことって普通に出していいんだって、もがいてあたりまえなんだ、「HELP!」って歌を作っていいんだって、解放してくれたんです。鍵であり解放です。生まれる前に来日した、どうしても見られないビートルズに会いたいですね。ビートルズは自分の世界を持っていて、迷いや嘆きや悲しみを全部音に表現することに、何の躊躇もてらいもないじゃないですか。彼らのようなかっこ悪くかっこいい大人になりたいです。

取材・文/佐藤義文

木村至信
ミュージシャン、医師


癌遺伝子の研究で医学博士を取得、現役の耳鼻咽喉科・頭頚部外科の医者であり、木村至信バンドのリーダーとして活動中。08年5月23日に5枚目のシングル「夕暮れレノン」をビクターエンタテインメントより発表、タワーレコードのJ-POPシングルチャート12位にランクイン。定評あるパワフルかつ癒しのライブパフォーマンスを展開。笑いあり涙ありの全国ツアーも大好評で幕を閉じた。現在ヤマダ電機他、いくつかのコラムを担当するなどのタレント活動と平行し、ニューシングルのレコーディング、ライブなど音楽活動もますます充実。赤坂のライブレストラン「AKASAKA NOTE」のおかみさんという一面も持ち、各方面のミュージシャンとの交流を大事にしている。

http://www.kimushino.net/


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