#62 テレビで来日公演を見て、脳天を直撃されました (斎藤 誠)
1.「子供の頃に兄貴と一緒に購読していた『ミュージック・ライフ』。楽譜集もそうだけど、ラクガキがたくさんあります(笑)。ジョンの顔に眼鏡を描いたり、自分のキーに合わせてコードを書き換えたり。ピンナップは机の前にずっと貼っていたもの。破れてるのは兄貴とのケンカの名残です。子供だから、このサインは印刷ではなく直筆だとずっと思っていました」
両親が洋楽ファンで『サウンド・オブ・ミュージック』のサントラとかがよく家でかかっていたんですけど、ある日『ジュリー・アンドリュース・ショウ』をテレビで見てたら、彼女がビートルズ・メドレーを歌っていたんです。それが全部知ってる歌だったんですよ。だから知らないうちにビートルズとも出会ってたんだと思うんですけど、そのすぐ後に来日して、武道館公演をテレビで見て、脳天を直撃するようなショックを受けて。小学校3年だったんですけど、それからはもう一直線。今に至るまでビートルズがすべての基準です。
初めて買ったのは「ミッシェル」や「ガール」が入ってるコンパクト盤でしたね。お小遣いが少なかったから500円で4曲入りは魅力的だった。とにかく好きになっちゃったんだから、なんでもいいから入門盤として買わなきゃダメだと思って、それを選んだんだと思います。すごく背が小さかったから、レコード屋さんのカウンターが目の高さより上にあって、背伸びしてお金を渡したことを覚えてます。そのあと「ペイパーバック・ライター」と「レイン」のシングルを買いました。ジャケットの"来日記念盤"の文字を見て、ここから自分は始まるんだ、って思ったことを今でも覚えていますね。
解散したときは中学生で、そう何もかもうまくはいかないんだ、こんな世の中だからケンカすることもあるだろう、って当時の世情的になんとか納得しました。メンバーでいちばん好きなのはポール・マッカートニー。小3のときからずっとです。写真でも優しそうだし、僕らのこともわかってくれそうじゃないですか(笑)。子供だから最初はそういう見た目で判断しました。ソロで好きな曲は「テイク・イット・アウェイ」。スティーブ・ガッドとリンゴのツインドラムで、プロデュースはジョージ・マーティン。怒涛のように押し寄せてくる後半の展開が素晴らしい。ウイングスももちろん好きです。70年代のアメリカン・ロックやバブルガム・ポップスを全部消化して、ビートルズではできなかったことをやっていた。浮ついて見える人もいただろうけど、格好よかった。でも80年のあの来日中止のときは、「まさかポールが日本でライブなんてやってくれるわけがない」っていう予感めいたものがあってチケットを買ってなかったんですよ。不思議ですね。
ジョンが亡くなったことを知ったのは、忘れもしない小田急線の千歳船橋駅近くの中華料理屋でした。ラジオがついてて、内田裕也さんが悲痛な声で喋っていて。僕はまだアマチュアだったんだけど、その日はサザンの初めての武道館公演の前日で、リハスタに差し入れを持っていったんですね。中に入ったら全員どよ〜ん。もう真っ暗。確か次の日はメニューを変えて「オー・マイ・ラブ」かなにかをやってました。僕も全然現実のこととしてとらえられなかったんですけど、新曲はもう聴けないんだっていうことはわかって、それがつらかった。『ダブル・ファンタジー』は途中のような気がしていたから、その次が楽しみだったんですよね。90年のポールのライブは、ずっと「ありがとう、ありがとう」って思いながら見てました。そんな風に思いながら見たライブはそれまでなかったです。素晴らしかった。その後も毎回行ってます。
でも残念ながら、ロンドンには行ったことがないんです。たまたま機会がなかった。楽しみはあとにとっておきたいですしね。いつかもし行くことができたら、もちろんビートルズの名所めぐりはしたいです。アビー・ロードの横断歩道も絶対に渡ります。多分、ものすごく興奮するでしょうね。
取材・文/佐々木美夏
初めて買ったのは「ミッシェル」や「ガール」が入ってるコンパクト盤でしたね。お小遣いが少なかったから500円で4曲入りは魅力的だった。とにかく好きになっちゃったんだから、なんでもいいから入門盤として買わなきゃダメだと思って、それを選んだんだと思います。すごく背が小さかったから、レコード屋さんのカウンターが目の高さより上にあって、背伸びしてお金を渡したことを覚えてます。そのあと「ペイパーバック・ライター」と「レイン」のシングルを買いました。ジャケットの"来日記念盤"の文字を見て、ここから自分は始まるんだ、って思ったことを今でも覚えていますね。
解散したときは中学生で、そう何もかもうまくはいかないんだ、こんな世の中だからケンカすることもあるだろう、って当時の世情的になんとか納得しました。メンバーでいちばん好きなのはポール・マッカートニー。小3のときからずっとです。写真でも優しそうだし、僕らのこともわかってくれそうじゃないですか(笑)。子供だから最初はそういう見た目で判断しました。ソロで好きな曲は「テイク・イット・アウェイ」。スティーブ・ガッドとリンゴのツインドラムで、プロデュースはジョージ・マーティン。怒涛のように押し寄せてくる後半の展開が素晴らしい。ウイングスももちろん好きです。70年代のアメリカン・ロックやバブルガム・ポップスを全部消化して、ビートルズではできなかったことをやっていた。浮ついて見える人もいただろうけど、格好よかった。でも80年のあの来日中止のときは、「まさかポールが日本でライブなんてやってくれるわけがない」っていう予感めいたものがあってチケットを買ってなかったんですよ。不思議ですね。
ジョンが亡くなったことを知ったのは、忘れもしない小田急線の千歳船橋駅近くの中華料理屋でした。ラジオがついてて、内田裕也さんが悲痛な声で喋っていて。僕はまだアマチュアだったんだけど、その日はサザンの初めての武道館公演の前日で、リハスタに差し入れを持っていったんですね。中に入ったら全員どよ〜ん。もう真っ暗。確か次の日はメニューを変えて「オー・マイ・ラブ」かなにかをやってました。僕も全然現実のこととしてとらえられなかったんですけど、新曲はもう聴けないんだっていうことはわかって、それがつらかった。『ダブル・ファンタジー』は途中のような気がしていたから、その次が楽しみだったんですよね。90年のポールのライブは、ずっと「ありがとう、ありがとう」って思いながら見てました。そんな風に思いながら見たライブはそれまでなかったです。素晴らしかった。その後も毎回行ってます。
でも残念ながら、ロンドンには行ったことがないんです。たまたま機会がなかった。楽しみはあとにとっておきたいですしね。いつかもし行くことができたら、もちろんビートルズの名所めぐりはしたいです。アビー・ロードの横断歩道も絶対に渡ります。多分、ものすごく興奮するでしょうね。
取材・文/佐々木美夏
斎藤 誠
ミュージシャン
1958年1月3日生まれ。東京都目黒区出身。青山学院大学ではサザンオールスターズを輩出した伝説の音楽サークル・ベターデイズに在籍。在学中から楽曲提供を始める。83年アルバム『LA-LA-LU』でシンガーソングライターとしてデビュー。ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサーとして活躍を続け、2008年でデビュー25周年。サザンのサポートだけではなく、桑田佳祐のソロ活動にも欠かせない存在となっている。
斎藤 誠オフィシャルサイト






