アビイ・ロードの歩き方―私のビートルズとロンドン―THE WAY TO ABBEY ROAD『アビイ・ロード』のカヴァーを見ていちどはここを歩いてみたいと思った人からとくに何も思わなかった人まで、リアル・ピープルにきくそれぞれのビートルズ、そしてそれぞれのロンドン。

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#60 つらい新弟子時代、ビートルズは俺の応援歌でした (越中詩郎)

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1.ジョンが描いたイラストをあしらったポスターが宝物。「85年にメキシコから帰ってきて、一人暮らししなきゃいけなくなってね。アパートを借りて、何か寂しいなと思ってた頃、渋谷を歩いてたときに見つけたんです。1万いくらだったな。見た瞬間に気に入って買いました。それからいろんなとこに引っ越したけど、これはいつも、家のいちばんいい場所に飾ってます」

 出会いは中学時代でしたね。暇を持て余してたとき、友だちに「レコード屋行かない?」って誘われて。店で彼が「すごいグループなんだよ」って絶賛しながら1枚のLPを出した、それが『レット・イット・ビー』。彼がお金がなくて、たまたま持ってた俺が買って……1800円でした。レコードのレの字も買ったことがないぐらい音楽に興味がなかったんだけど、強烈なインパクトでしたよ。すり切れるぐらい聴きました。

 もっと彼らのことを知りたくなった。でも、解散して何年か経ったぐらいの頃で、ビートルズのケツっぺたから入ったから、情報源って本当に少なかったんです。今みたいにビデオもないし、ニュースも入ってこない。だから一生懸命LPを買ったり、雑誌を読んだりしましたね。当時、新宿武蔵野館っていう映画館で、ビートルズ映画を月曜から木曜まで4日連続上映したんです。いちばん観たかったのは木曜上映の『レット・イット・ビー』だったけど、月曜の『ハード・デイズ・ナイト』、火曜の『ヘルプ!』、水曜の『イエロー・サブマリン』と、毎日通いました。

 そのうち聴くだけじゃ物足りなくなって、ちょっとバンドを組んだんです。まあ、ひどかったね。練習で集まったとき、ある奴がモノポリーを持ってきてね。「ビートルズはこのゲームに凝って、本物のお金を賭けてやってたんだ」って言うんですよ。みんなモノポリーに夢中になって、夏休みに毎日集まってそればっかりで、まったく練習しなかった(笑)。文化祭みたいなので演奏させてもらったけど、赤っ恥かいて、一回でやめました。俺はドラムを叩いたんです。独学でね。

 その後高校を出て就職もしたんですけど、どうしても好きだったプロレスをやりたかった。親は反対しましたね。「レスリングで国体にでも出て引っぱられたのなら納得もするけど、何もしたことない奴がいきなり何言ってんだ」って。そりゃ正解ですよ。でも、やりたいことやらないと悔いが残ると思って、後先考えなかった。俺、高校では野球部だったんだけど、レスリングが強い学校だったから、レスリング部の先生に会いに行って相談したんです。そしたら「やれ」って言われて。人生が変わりましたね。プロレス入りして、最初はつらいことがいっぱいありました。体力的にもしんどいし、人間関係も先輩ばっかりだし。打ちのめされてるときに、合宿所でふと自分の時間ができると、カセットレコーダー……それしか自分のものは持って行ってないんだけど、それでビートルズの曲を聴いたんです。唯一ホッとする時間。俺のいちばんつらい時期の応援歌でしたね。今でもラジオで偶然ビートルズがかかってたりすると、自然にボリューム上げちゃうね。

 海外修行はメキシコ。片道切符で、いつ日本に帰れるかわからないなか現地で試合をしていく生活だけど、ちょっとした楽しみがあってね。俺の住んでたところから地下鉄で3つか4つ行った駅の広場に、日本で言ったらビアガーデンみたいなのがあって、そこにビートルズのコピーバンドが出てたんです。試合がない日は毎日、日が暮れる頃に彼らの歌を聴きに行ってました。日本のコピーバンドも好きでよく観たけど、「こいつらの発音、うめえな」って思って(笑)。今どこへ行きたいって言われたら、やっぱりリバプールへ行ってみたいですね。ヨーロッパはオーストリアしか行ったことがないんです。

 デビュー戦が79年ですから、来年(2009年)で30周年です。先々のことはわからない。目の前のことをやっていくだけです。しがみつきたいとは思わないけど、自分が納得するまでやりたい。ポールもまだまだ頑張ってるしね!

取材・文/鳥居一希

越中詩郎
プロレスラー


1958年9月4日生。東京都出身。185cm、105kg。強い粘り腰のファイトスタイルから「ド演歌ファイター」などの異名を取っている。必殺技はフライング・ヒップアタック。78年に全日本プロレスに入門、84年にメキシコ、東南アジアへ遠征し、「サムライ・シロー」の名で活躍。85年に新日本プロレスに移籍、IWGPジュニアヘビー級王座、IWGPタッグ王座をそれぞれ3度獲得。92年からは木村健悟らとともに反選手会同盟(後に平成維震軍と改称)を結成し、リングに旋風を巻き起こした。2003年に新日本を退団して以降はWJ、プロレスリング・ノア、ZERO-ONE、ハッスルなどのプロレス団体のリングを渡り歩く。近年は、ケンドーコバヤシなどのお笑い芸人たちから熱いリスペクトを受けていることでも注目されている。11月20日、東京・後楽園ホールで行なわれる「ハッスル・ツアー2008」に出場予定。
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