#53 歌っているときはジョンが自分に憑依しているのを感じます (廣田龍人)
1.1980年頃、ロンドンで買った思い出のリッケンバッカー325を抱えて。「このリッケンバッカーは、60年代前半に作られたものです。だから、ジョンが持っていたものにとても近い仕様ですね。音はすごくいいですよ。ビブラート・アームを外して、別のテイルピースにつけ替えた跡があります」
2.「これ、変わったギターなんですよ。ここのフレットだけが、少しだけ傾いて打ち込まれてるでしょ。よく見ないとわからないくらいに。試しに弾いているときに発見してね。失敗作品だと思うんだけど、これが何だか怪しくて(笑)、気に入って買ったんです」
中学2年生のときに「プリーズ・ミスター・ポストマン」や「シー・ラヴズ・ユー」を聴いて好きになりました。そして本格的なバンドを組み、高校の頃にはライブハウスに出演してましたね。オリジナル曲を中心にやってましたが、ビートルズをやるとすごくうまいと評判だったんです。徹底的にコピーしましたからね。
そして1973年にバッド・ボーイズとしてレコード・デビューです。ビートルズのコピー・アルバムを出すとは想像もしませんでした。オリジナルで行くつもりでしたが、関係者に何曲かビートルズのコピーを聴かせたら、そっちが受けてしまって……。ライブで高評価をいただきながらも、裏ではいつも悩みつつ、76年まで活動しました。当時はフォーク全盛で、同じ事務所のオフコースの演奏を手伝ったりするうち、ベースの清水仁がオフコースの正式メンバーになってしまってね。僕は自分のバンドがやりたくて、77年に新たにREVOLVERを結成しました。
以降はオリジナルばっかり演奏してたんですが、80年にジョンが亡くなったこと、その翌年に六本木にキャヴァンクラブがオープンしたことで、ビートルズの曲を再び演奏するようになりました。運命に呼び戻された感じです。オリジナルとコピーの両立が10年くらい続きました。自分としては中途半端な状態でしたが、若い世代が僕らを観てビートルズ・ファンになったり、最近はアコースティック・ギターのソロでビートルズをやるようになって、それにもまたファンがついて……。ビートルズとは、切っても切れませんね。
彼らが作ったとしか思えないようないい曲にうまく日本語を乗せたものを作るのが、長年の課題であり今後の目標です。ラトルズというビートルズのパロディ・バンドがありますよね。ああいうものを目指してますよ。ビートルズが演奏してもおかしくなくて、洒落っ気のあるものを。そして、海外のライブハウスで演奏して、日本人としてどこまで通用するのか試してみたいという夢もあります。
イギリスには5〜6回行ってます。ロンドンは街の造りもファッションも大好きです。いちばん気に入ったのはタクシー。映画『ハード・デイズ・ナイト』にも出てきてたけど、高級車に乗ったような感覚です。運転手さんは知らない道なんかないし、割込みや追い越しもしない。さすが紳士の国ですよ。
リバプールでは、ジョンやポールの少年時代の家が印象的でした。ポールの部屋はすごく狭かった。4畳半か、せいぜい6畳間くらい。ペニー・レインも、僕が少年期に過ごした大阪の商店街みたいな、本当に小さな通りですよ。イギリスも日本も、労働者の街は同じですね。
取材・文/鳥居一希
廣田龍人
ミュージシャン
1951年2月3日、広島県出身。ニックネームは「RICKY」。73年、バッド・ボーイズの一員として、ビートルズのコピー・アルバム『MEET THE BAD BOYS!』、シングル「ビートルズが教えてくれた」で全国デビュー。77年にはREVOLVERを結成し、現在も活動中。ジョン・レノンの死後、81年から2005年まで、12月8日の命日には、ビートルズの影響を受けたミュージシャンたちを集めて追悼ライブ「ジョン・レノン・フォーエバー」を主催。01年から6年間、六本木キャヴァンクラブの音楽プロデュースを担当してサウンド面を全面的にバックアップし、ハウスバンドのザ・シルバービーツを誕生させた。06年8月にはリバプールの「ビートルズ・ウイーク」にRICKY & THE MICHELLEとして参加。キャバーン・クラブでのライブでオーディエンスから絶賛された。08年10月は、2日に六本木スィートベイジルでデビュー35周年記念ライブが行なわれ、22日には『MEET THE BAD BOYS!』が紙ジャケット仕様CDで再発される。
オフィシャルサイト「廣田龍人ファン・クラブ YELLOW DRAGON」






