#41 90年のポール・マッカートニー来日には救われました (黒沢秀樹)
1.『ア・ハード・デイズ・ナイト』の日本盤LPと愛用のリッケンバッカー。「このジャケットがいちばん好きなんです。写真の感じ、フォントの感じ、全部好き。リッケンバッカーもずっと使ってます。とにかくリッケンバッカーに対する憧れはすごいあって、世界でいちばんかっこいい楽器だって今でも思っている。アメリカの楽器なのにイギリス人が使ってこんなに有名になったところもいいし、この独特な音色はビートルズ・サウンドに欠かせないですね。手に入れたのは14〜5年前です。持った瞬間に“これだ!”って思って、ローンをめちゃめちゃ組み倒して買いました(笑)」
ビートルズは3歳くらいから聴いています。一回りくらい上のすごい音楽好きの従兄弟がふたりいて、彼らがうちにレコードを持ってきて聴いてたのが出会いですね。2つ上の兄貴(黒沢健一)が子供の頃からレコードをおもちゃ替わりにしてたような人で、やっぱり毎日聴いてて。でも僕はビートルズとバッドフィンガーを勘違いしてたんですよ。「ロック・オブ・オール・エイジズ」っていう曲をビートルズだと思ってたのに、小学校高学年くらいになってからその曲を探したらなくて。だからずっと疑問に思ってたんだけど、中学に入って初めて違うバンドだって判明したんです(笑)。そうやって刷り込まれるくらい毎日聴いてました。
L⇔Rでデビューする前の年の3月にポールが来日して、東京公演は全部見ました。コネもないしお金もないしで、プレイガイドに発売日の前日から並んだんですよ。でもあまりいい席はとれなかった。ライブは感動しましたね〜。泣きました。ちょうどデビューの話が来るちょっと前で、兄貴と一緒にやってたバンドがうまくいかなくてみんな辞めちゃって、そういうすごいダメダメなときにポールが来日するって聞いて、ふたりで“もうポールを見て実家に帰ろう”っていうくらいの決意をしてたんですよ(笑)。だから一世一代のイベントでした。曲順通りにカセットに編集して聴いたり、ドームで出待ちをしたり。バカだなぁ。でもあの来日ですごく救われました。あのときにポールが来てくれなかったらL⇔Rは存在しなかったかも…なんて言うと“嘘つけ”って言われそうだけど(笑)。2回目の来日のときは3日間徹夜でプロモーション・ビデオの撮影をして、そのまま寝ないで福岡まで行きました。リンダのレシピで作った料理を食べた後にリハーサルを見られるっていうチケットを10万円で買ったんですよ。忙しかったんだけど“行かせてくれなかったら全員で仕事をボイコットする”ってマネージャーに言って、“俺がなんのためにこの仕事をやってるのかって言ったら、このためなんだ!”ってみんなに言い放って。そのツアーのときかな、「レット・ミー・ロール・イット」でみんなでペンライトを振るところがあったんですよ。テレビ中継があったのに、ものすごく盛り上がって兄貴とふたりで振ってたら、バカ兄弟が揃って映っているのをファンに発見されましたもん(爆笑)。すごい恥ずかしかった。
でもロンドンに行ったことはないんです。仕事で行く機会があるのはアメリカばかりで。みんなに“なんで?”って聞かれるけど縁がない。あえて遠ざかってるわけでもないんですけど、あんまり積極的に行こうって気にもならない。なんかね、行かないでおきたいって気も半分あるんですよ。自分の想像の中でとどめておきたい。行っちゃうと現実になっちゃうし、自分の中で何かが終わったみたいな感じがしそうで(笑)。ファン心理って複雑ですよね。
ビートルズが僕にくれたものは、音楽をやる仲間かもしれません。そうじゃない人もたくさんいるかもしれないけど、ロックやってる人はたいていビートルズが好き、ビートルズのことはみんなすごくよく知ってる。そうすると“あの曲のあそこがいいよね”って話になった途端、キャリアとか年齢とか性別とか国籍とかまったく関係なくなっちゃう。そこで意気投合しちゃう。そういうある種の共通言語みたいな部分があって、楽譜とかデータよりみんなの気持ちがひとつになりやすい。そういう意味でも、ビートルズが無意識のうちにくれているものはとても大きいです。
取材・文/佐々木美夏
L⇔Rでデビューする前の年の3月にポールが来日して、東京公演は全部見ました。コネもないしお金もないしで、プレイガイドに発売日の前日から並んだんですよ。でもあまりいい席はとれなかった。ライブは感動しましたね〜。泣きました。ちょうどデビューの話が来るちょっと前で、兄貴と一緒にやってたバンドがうまくいかなくてみんな辞めちゃって、そういうすごいダメダメなときにポールが来日するって聞いて、ふたりで“もうポールを見て実家に帰ろう”っていうくらいの決意をしてたんですよ(笑)。だから一世一代のイベントでした。曲順通りにカセットに編集して聴いたり、ドームで出待ちをしたり。バカだなぁ。でもあの来日ですごく救われました。あのときにポールが来てくれなかったらL⇔Rは存在しなかったかも…なんて言うと“嘘つけ”って言われそうだけど(笑)。2回目の来日のときは3日間徹夜でプロモーション・ビデオの撮影をして、そのまま寝ないで福岡まで行きました。リンダのレシピで作った料理を食べた後にリハーサルを見られるっていうチケットを10万円で買ったんですよ。忙しかったんだけど“行かせてくれなかったら全員で仕事をボイコットする”ってマネージャーに言って、“俺がなんのためにこの仕事をやってるのかって言ったら、このためなんだ!”ってみんなに言い放って。そのツアーのときかな、「レット・ミー・ロール・イット」でみんなでペンライトを振るところがあったんですよ。テレビ中継があったのに、ものすごく盛り上がって兄貴とふたりで振ってたら、バカ兄弟が揃って映っているのをファンに発見されましたもん(爆笑)。すごい恥ずかしかった。
でもロンドンに行ったことはないんです。仕事で行く機会があるのはアメリカばかりで。みんなに“なんで?”って聞かれるけど縁がない。あえて遠ざかってるわけでもないんですけど、あんまり積極的に行こうって気にもならない。なんかね、行かないでおきたいって気も半分あるんですよ。自分の想像の中でとどめておきたい。行っちゃうと現実になっちゃうし、自分の中で何かが終わったみたいな感じがしそうで(笑)。ファン心理って複雑ですよね。
ビートルズが僕にくれたものは、音楽をやる仲間かもしれません。そうじゃない人もたくさんいるかもしれないけど、ロックやってる人はたいていビートルズが好き、ビートルズのことはみんなすごくよく知ってる。そうすると“あの曲のあそこがいいよね”って話になった途端、キャリアとか年齢とか性別とか国籍とかまったく関係なくなっちゃう。そこで意気投合しちゃう。そういうある種の共通言語みたいな部分があって、楽譜とかデータよりみんなの気持ちがひとつになりやすい。そういう意味でも、ビートルズが無意識のうちにくれているものはとても大きいです。
取材・文/佐々木美夏
黒沢秀樹
ミュージシャン
1970年生まれ。’ 91年、黒沢健一、木下裕晴とともにL⇔Rとしてデビュー。「KNOCK IN’ ON YOUR DOOR」などのヒット曲を残し、97年に活動休止。その後はソロ・アーティストとして活動を始め、現在は作詞作曲家、アレンジャー、プロデューサー、ギタリストなど幅広く活動中。07年11月にリリースされたカヴァー・コンピレーション・アルバム『SUNNY ROCK!』でのプロデュース・ワークは各方面で絶賛された。
オフィシャル・サイト http://www.ourhouse-net.com/hideki/






