#34 「レット・イット・ビー」には思い出がたくさんあります (パウロ鈴木。)

1.鈴木さんがリーダーをつとめるザ・ビートルースのステージ衣装は、『サージェント・ペパー』のコスチューム。「僕は92年にバンドに合流したんです。当時のビートルースは音はよかったけど、私服で演奏してて見た目がアマチュアっぽかった。そこで、僕が知り合いに頼んで作ってもらった『ペパー』のコスチュームをステージ衣装にしたんです」
2.思い出の品は、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンのサインが入った賞状。1996年に石川県加賀市で行なわれたビートルズ音楽祭で、ビートルースが準グランプリに選ばれたときのもの。
3.ザ・ビートルースは97年にCD『マジカル・ドリーミィ・ツアー』(左)をリリース。ダイレクトなスタジオ・ライブ的サウンドで、ビートルズ・テイストあふれる2曲のオリジナル曲も収録している。99年9月にリリースしたセカンド『エニシング・ニュー』(右/現在入手困難)は、ファーストとは対照的に200時間以上を費やした精密なレコーディング。ジョージ・マーティンが絶賛した「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」も収録!英国テイストあふれるポップなオリジナル・ナンバー3曲も注目される。
ロンドンで訪ねたアップル・ビルは最高! 映画『レット・イット・ビー』がオーバーラップして、屋上を見上げていると「ゲット・バック」や「アイヴ・ガッタ・フィーリング」が自分の頭の中で聴こえてくるんです。たまたま警官が歩いてきても、「このお巡りさんが文句言いにビルに入って行ったんだ」とか(笑)。僕は「レット・イット・ビー」がビートルズとの出会いでしたから。
71年かな、小学校5年生の頃。家族でテレビを観ていたら、映画『レット・イット・ビー』の映像が使われたステレオのCMが流れたんです。「Let it be〜」と歌が聴こえた瞬間、自分の中にボカーンって雷が落ちて、「うわー、この曲何?」。今は亡き父に聞いたら「ビートルズっていうんだ。プレスリーより上だぞ。すごい音楽家なんだ」。昭和ひとケタ生まれで、ちっちゃな印刷会社をやってた父がそんなこと言うのにびっくりしました。
あの歌を歌ってるのはブロンドの髪の知的なメガネの人(ジョン)で、ヒゲが濃い人(ポール)じゃないと思い込んでましたけど(笑)、先輩とビートルズ映画の3本立てを観に行ったら、ヒゲの人が歌ってた。屋上でベースを弾いてる姿とかメッチャかっこよくて、一気にポールに憧れましたね。いとこから500円で買ったギターの弦を4本に減らして、1オクターブ下げて、ベースにして弾いてました。その頃、6年生にビートルズ好きのちょっとワルのお兄ちゃんがいたんです。彼がシングル「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」と、アルバム『ヘイ・ジュード』を持ってまして。聴きたくてしょうがなくて、その子の家に行って、その3枚を何回も何回も、呆れられるぐらい聴かせてもらってたんです。親には「塾に行く」と嘘をついて来る日も来る日も毎日毎日…。2ヵ月ぐらい後にばれて、当時まだ家にあった防空壕に閉じ込められましたよ(笑)。
取材・文/鳥居一希
パウロ鈴木。
ミュージシャン
1961年愛知県出身。71年にビートルズと出会い、直後にNHK『ヤング・ミュージック・ショー』でEL&Pを目撃する。84年までオリジナル・プログレバンドGOMAで活動。88年に六本木キャヴァンクラブ等でビートルズ・ワークを開始するまで、環境音楽的作品を劇団等に提供。91年には自らの音楽アトリエ空間的ライブハウス「ラバーソウル」をオープン。92年にザ・ビートルースと合流。96年にはビートルズ音楽祭にてジョージ・マーティン氏から直々に賞を受け、それをきっかけにビートルースとしては2枚のCDをリリース。ソロ活動も多く、英国政府観光庁「英国式幸福論」イベント、東京タワー企画(展望台ライブCLUB333)などに出演。08年4月13日、名古屋ドームにて開催の「アクティブ・シニア・フェアー」にビートルースで出演。6月にはGOMA2でも正式なプログレCDデビューを飾る。執筆参加作品に『ザ・ビートルズ大全』『プログレッシブ・ロック入門』(河出書房新社)などがある。
ラバーソウルレコード公式サイト http://www.beatle-japan.com/






