#16 ポールが山崎まさよしを“MASA!”と呼んでくれた日 (森川欣信)
1.「僕もポールと写真を撮ったのに、僕の分は送られて来ずじまい。撮影はポール側のカメラマンだから請求もできない…」と嘆く森川社長だが、山崎まさよしさんとポールとの2ショットは「宝物です」とのこと。
2.ポールのサイン入りのビートルズ来日公演チケット。本人に会うまではアルバムに貼られていて、裏面にはテープの糊が付いたまま。帰国後、ちゃんとフレームに入れようとした額装店で、「糊を剥がしていいですか?」と聞かれ、「ダメ!」と止めたら不審そうな顔をされたとか。「まぁ、この糊にポールの指紋や細胞が付いているとは思わないでしょうから(笑)」。
小学校5年生の終わり頃、1964年1月にラジオから流れてきた“妙な音楽=ビートルズ”に惹かれてから、彼らのことを考えない日はこれまで1日もありませんでした。’66年の来日公演は、通っていた中学校で「行ってはならん」というお達しが出たけれど、お構いなし。数百枚の往復葉書を書きまくって、抽選を引き当てました。その当選葉書を持ってプレイガイドに並ぶのは学校が終わってからだから、席は武道館の3階の最後列でしたが、レコードとの違いまでよく聞こえましたね。ただそのときは36年後に、そのチケットにポール・マッカートニーからサインを貰えるとは夢にも…。
2002年、ポールの来日公演直前に、テレビで来日記念企画が持ち上がり、ウチの山崎まさよしがボストンまでポールと対談をしに行ったんです。会った瞬間、緊張しまくる山崎に向かって「C’mon! MASA!」と呼んでくれたうえに、山崎がカバーした「ALL MY LOVING」も一緒に歌ってくれた。僕も緊張しっぱなしで、その晩は山崎と2人してグッタリ。思えば小学校5年から数十年、長い道のりでした(笑)。
実は、それまでもビートルズ周辺の人に会うことはあったし、アビイ・ロード・スタジオでレコーディングしたこともあったんです。多くの楽曲が録音されたNo.2スタジオではなかったけれど、『REVOLVER』で使われたNo.3スタジオでのレコーディングは感無量でした。理由? やってみたかったから(笑)。観光だとスタジオ内には入れないですしね。
取材・文/松浦達也
2002年、ポールの来日公演直前に、テレビで来日記念企画が持ち上がり、ウチの山崎まさよしがボストンまでポールと対談をしに行ったんです。会った瞬間、緊張しまくる山崎に向かって「C’mon! MASA!」と呼んでくれたうえに、山崎がカバーした「ALL MY LOVING」も一緒に歌ってくれた。僕も緊張しっぱなしで、その晩は山崎と2人してグッタリ。思えば小学校5年から数十年、長い道のりでした(笑)。
実は、それまでもビートルズ周辺の人に会うことはあったし、アビイ・ロード・スタジオでレコーディングしたこともあったんです。多くの楽曲が録音されたNo.2スタジオではなかったけれど、『REVOLVER』で使われたNo.3スタジオでのレコーディングは感無量でした。理由? やってみたかったから(笑)。観光だとスタジオ内には入れないですしね。
取材・文/松浦達也
森川欣信
オフィスオーガスタ代表取締役
'52年生まれ。山崎まさよし、スガシカオ、元ちとせ、杏子、スキマスイッチなどを擁する、音楽制作プロダクションのトップ。2002年には自社レーベル「オーガスタレコード」を設立。毎年夏には、所属アーティストによる大型野外イベント「オーガスタキャンプ」を開催している。
http://www.office-augusta.com/






