#73 追いついたと思ったら逃げられる、ビートルズとの関係 (鈴木康博)
1.日本盤LP『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』。「初めて買ったビートルズのレコードがこれ。当時は日本独自のジャケット・デザインで、特に初回盤のジャケットは上部に派手な<STEREO>表示が入っていました(OP-7123)。でもこのLP、友人に貸したままになっていて今は手元になく、今あるのはその後に発売されたSTEREO表示なしのものです。中のレコード盤はエバークリーンと呼ばれた赤の透明ビニール盤で、静電気防止剤が含まれていてホコリがつきにくい素材だ、と言われていました」
それでもビートルズの音楽には興味をひかれたので、騒ぎがおさまった高2のとき映画館に行きました。たしかエルビス・プレスリーの映画『アカプルコの海』と2本立て。小さな町の映画館で、男友達と二人。日本の女子は慎ましやかだから、もうスクリーンに向かって騒いだりしないんじゃない? と期待しつつ。ところが数人の女の子がキャーキャー騒ぎ始めちゃった。あーあ、もうちょっと大和撫子のイメージを守ってくれよ……。ビートルズに日本の女の子たちを持って行かれちゃったみたいで、内心ガッカリでした。
そんな彼らのアイドル的存在を見下しつつも、音楽的才能は認めざるを得なかった。初めて買ったビートルズのレコードは、その『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のサントラです。オープニングのジャーン! という、ジョージの12弦ギターが衝撃的で、この曲ならレコードを買う価値がある、と思ったからです。彼らを“野卑”と感じた『ウィズ・ザ・ビートルズ』の頃よりも、『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』には僕を揺さぶるものがたくさんありました。A面曲はラジオでよく聴いていたので、針を落としたのはB面ばかり。生ギターのストロークがカッコイイ「今日の誓い」、ジョンの歌い方が特徴的な「ユー・キャント・ドゥ・ザット」、それから「ホエン・アイ・ゲット・ホーム」のウォウウォー、もうたまんないですよ。当時、ホコリがつきにくいという“エバークリーン”の赤いレコード盤さえもカッコイイと思えた。ジャケットに写ってるジョージのアコースティック・ギターを見て、これと同じギターを買わなきゃ!ビートルズやるならこれだ!と思いこんだり。あれはたいしたギターじゃなかったんだけどね。
その頃には学生仲間でコンサートをやるようになっていたので、ビートルズを弾けるようになりたかった。オレたちはフォークもやるけども、ビートルズもできるんだぞ、というところを自慢したかったんですね。『ラバー・ソウル』と『リボルバー』をカセットテープに入れて毎日のように聴きましたが、これがなかなかコピーできない。当時はC-Am-F-G7程度のコード進行しか知らなかったから、PPMの曲はコピーできても、ビートルズはできない。コード進行が難解で、音楽形態さえ違うような気がしました。ようやくこれなら弾けそうだ、と感じたのは「恋をするなら」。その頃には「デイ・トリッパー」がヒットしていましたが、イントロの単音は弾けてもその後のコード進行が突飛すぎてまったく理解不能。ただ、そういう変わったモノには特に憧れていました。
コピーするうちに彼らの偉大さを知り、少し彼らに追いついた気になっていた大学時代。でもそこに、名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が登場したんです。彼らはまた進化しちゃった! 追いついたと思ったら、引き離される。やっとギターでなんとか同じ音を出せそうになったのに、またしても彼らは遠くに行っちゃったわけです。それにこの『サージェントー』を聴いた瞬間、愕然としました。音楽で食っていくには、ここまでアレンジの知識がないとダメなのか、と。その頃僕は、ビートルズにジョージ・マーティンというプロデューサーがいることを知らなかったんです(笑)。
学生時代は音楽の授業が大嫌いで、ト音記号さえ分かっていなかった僕ですから、すぐに音楽の教室に入りました。そこでアレンジやコードワーク、作曲法など音楽理論を一から勉強した。そうしないと音楽でやっていけない、と思ったのはビートルズのおかげですね。オフコース時代に結実するコーラス・ワークは、音楽知識に基づく緻密な音の積み上げ。同じ時代にビートルズ&ジョージ・マーティンという偉大な音楽家がいたおかげで、僕は音楽を学ぶことができ、こうして今も音楽を作り続けていられるのかもしれません。
取材・文/松田ようこ
鈴木康博
ミュージシャン
1948年静岡県修善寺に生まれ、横浜で育つ。中学の頃からアメリカン・ポップスに影響され、東京工業大学時代に友人小田和正らとオフコースを結成。70年「群衆の中で」でデビューし、バンドのボーカル&ギターとして一時代を築く。82年6月の歴史的な武道館10日間公演後、オフコースを脱退しソロ活動を開始。ソロとしてアルバムを24枚リリース、またCMや劇伴音楽の制作等、幅広い活動を展開中。2000年に結成されたSong for Memories(鈴木康博・山本潤子・細坪基佳)のメンバー&アレンジャーとして参加、ライブは2月28日岡山市民会館など。またソロ・ライブ・ツアーも、09年4月19日六本木・STB139スイートベイジルなど、全国で精力的に展開中。
鈴木康博 オフィシャルサイト
http://www.omgnet.co.jp/renewal_yassHP/yass/index.html
#72 ビートルズを聴くためにステレオを買ってもらった (岡本定義)
1.「『オールディーズ』は小4のお正月にお年玉で初めて買ったアルバム。馴染みのある曲がたくさん入ってるし、ジャケットもかっこいい。解説書を食い入るように読みながら聴いてた。今もスタジオの玄関のところにビスで留めて飾ってあるからもうヨレヨレ(笑)。この裏ジャケの写真だけで、どんだけいろんなことを想像したか。『パスト・マスターズVol.2』は初めて買ったCD。当時CDなんて高くて買えなかったけど、横浜のディスクユニオンで中古で安く出てたから。2枚とも思い出が詰まってる」
それまで買ってたのは歌謡曲のシングル。アルバムはポータブルのプレーヤーだと盤がはみ出しちゃうわけですよ。で、ビートルズを聴くためにステレオが欲しいって言い出したのが中1のとき。うちにステレオが来た日は嬉しくて熱が出ちゃったもん(笑)。いまだにロープランド・スタジオ(COILの基地でもある綱島のプライベート・スタジオ)にあるスピーカーはそのときのヤマハの10M。もう30年近く使ってる。
ある人が"初めて自分で買ったアルバムはその人を象徴している"って言ってたんだけど、俺はアナログが『オールディーズ』で、CDは後期の編集盤の『パスト・マスターズVol.2』。無意識のうちに初めて買ったものが両方ともビートルズで、しかもベスト盤。いいところをつまんである。僕、本を読むのがすごい好きで、最近は古典ばかり。死んだ人の言葉ばっかり読んでる。特に好きなのが『論語』。でも2500年前のオッサンの言った言葉を後からまとめてるから、解釈もぐちゃぐちゃなの。いろんな人の説がある。それをひとつひとつ読んでるうちに、俺はこの部分はこっちの人のが好きだな、でもこっちの部分は違う人のほうがいいな、って自分で編集し始める。おいしいところを選ぼうとする。そうすると『論語』そのままを受け入れるんじゃなくて、フレーズごとにいろんな組み合わせをした"俺の論語"ができてきたりする。ビートルズもどこに焦点を当てるかでいろんなとり方ができるし、『論語』の中の言葉が格言として生活の中に普通にあるように、ビートルズはふだん聴いてなくても頭の中でいつでも鳴らすことができる。でもそれは完コピじゃないの。ベスト盤好きで編集好きだから、いいところだけ抜き出してる。音楽を作る職業としては完璧に思い出せないほうがいい。この部分とこの部分を思い出したら、その間の部分は自分で補完したり自分の中から出そうとする。それはさっきの『論語』の解釈と一緒で、すごくクリエイティヴな作業。自分なりのビートルズが、音楽制作にいい影響を及ぼしている。この歳になってそれがわかった。ビートルズの音楽にはいろんなエッセンスが入ってるから、そういう素材としても本当に出会えてよかったと思います。
ビートルズのすごさは他のものを聴くともっとわかる。一度宇宙に出て外から見た地球はやっぱすごいぞって思うのと同じように、他のにはまってからビートルズに戻ってくると、これを最初に好きになって本当によかったと思える。大学の頃も俺はビートルズしか聴いてなくて、友達と酒を飲みながら朝までビートルズとストーンズのいいところを言い合ったりしてたのね。ビートルズに較べて、ストーンズはカバーのセンスがすごいよかったんですよ。でも荒削りだったんで、オリジナルのマディ・ウォーターズのほうがすげぇな、とか思っちゃったりしたんだけど、ビートルズはオリジナルのチャック・ベリーよりこっちのほうがいいと思えるくらいに完成されてた。だから実はルーツにさかのぼりにくいの。ストーンズはルーツをたどって、"マディすげぇ! こんな曲を選んだストーンズのセンスもすげぇ!"って思えるんだけど、ビートルズはよそになかなか行かせないんだよ。ストーンズ・ファンの友達が"そんなんじゃダメだ"って言うから他のも聴き始めたんだけど、そしたらさらに良さがわかった。
でも僕、パスポート持ってないんです(笑)。一度も日本を出たことがない。バーチャル・トラベラー。部屋に閉じこもって本を読んだりレコード聴いたりしてるほうが好き。写真1枚あればすごくたくさんのことが想像できる。昔からずっとそう。手品の種明かしってつまらないでしょ? 情報がないほうが頭の中で穴埋めするから楽しいの。アビー・ロードをいつか絶対この目で見たいとも思わない。でも取材とかで連れてってくれるなら、それはそれで行きますけど(笑)。
取材・文/佐々木美夏
岡本定義
ミュージシャン
7月27日生まれ。神奈川県横浜市出身。佐藤洋介とのユニットCOILとして98年「天才ヴァガボンド」でデビュー。その卓越したソングライティング力はCOILのみならず、元ちとせや杏子などへの楽曲提供でも知られる。デビュー10周年を迎えた08年には"福耳"のニューシングルをCOILとして作詞作曲から録音まで完全プロデュース。セルフカバーミニアルバム「ギャルソン」と3年ぶりのオリジナルアルバム「Vitamin C」をリリースした。
動画配信サイト「オーガスタシアター」にて08年12月4日に恵比寿LIQUIDROOMで行われたCOILデビュー10周年スペシャルライブを配信中!
COIL オフィシャルサイト
http://www.office-augusta.com/coil/
ポール、ダニーがコーチェラ・フェスティバル出演へ
フェスティバルの公式サイトによると、ポールは初日となる17日のヘッドライナーとして登場。ダニーのユニットthenewno2は18日のラインナップに含まれています。
コーチェラはアメリカ最大級の野外ロック・フェスティバルで、1999年に第1回を開催。2001年以降は毎年恒例となっています。2009年のヘッドライナーは17日がポール、18日がキラーズ、19日がキュアーという豪華な顔ぶれ。チケットは1月30日に発売開始されました。
(ビートピア)
ポールがグラミー授賞式で演奏へ、デイヴ・グロールが共演
第51回グラミー賞ではポールが2部門、リンゴ・スターが1部門でノミネートされています。
授賞式は日本時間で2月9日に、テレビではWOWOWが独占生中継し、首都圏のラジオではインターFMが完全生中継します。お見逃し無く。
(ビートピア)
#71 ビートルズのコピーバンドには葛藤がつきものです (城間正博)
1.リアルタイムで集めたのは、500円で買えた4曲入りコンパクト盤でした。アルバムは今とほとんど値段が変わらず、1800円もしましたから、とても買えませんでした。コンパクト盤は、シングルのA面曲がたくさん入っていたりして、お買い得だったんです。初めて買ったアルバムは、『ラバー・ソウル』。「ビートルズ、ちょっと変わったなあ。初期のほうがよかったなあ」というのが、当時の最初の印象でしたね。でも、聴いてるうちにすごく好きになりました。
彼らやベンチャーズが好きで、一生懸命ギターでコピーしてましたよ。僕は自分から何かしようっていう人間じゃないから、そのままだったら普通の堅い仕事に就いていたと思うんですが、17歳のときにドラマーとしてバッド・ボーイズのRICKY(廣田龍人)に誘われたことで人生が変わりました。その頃、大阪には演奏する場所がけっこうあったんです。今みたいなライブハウスじゃなくて、そこらへんにあるような小さな飲み屋。職業としてもある程度成り立つから、そのままどっぷり入っていきました。ダンスホールのような場所で演奏したとき、東京の音楽業界の人が観に来て、「東京へ来ないか」と誘われましてね。うまい具合にそういうきっかけがあったんです。
1973年、バッド・ボーイズはビートルズのコピーでデビューしました。レコードの音だけじゃなくて、映画『ヘルプ!』や『レット・イット・ビー』を観たりして、リンゴのドラミングをずいぶん研究しましたね。リンゴは左利きだから、普通のドラマーとは叩く手順がかなり違うんです。右利きの手順で叩くと絶対に同じニュアンスが出ないから、コピーは苦労しました。「レット・イット・ビー」のドラムが好きですね。
別の悩みもありましたね。ビートルズのコピーだと、ヘタをすると企画もの、色もので終わっちゃいますから、ミュージシャンとしてちゃんと立つならオリジナルをやらなきゃと。ビートルズの曲を演奏しないと食べていけない。でもそれを完全に断ち切らないと、ミュージシャンとして突き抜けられない壁のようなものがある。そんな葛藤ですね。結局バンドは解散して、RICKYはオリジナルをやるためにREVOLVERを結成しました。僕は「とりあえず食べていかないと」ということもあって、安易にも、すぐに稼げるほうを目指してしまったんです。ところがしばらく別々の道に進んだ後、またRICKYとビートルズもオリジナル曲も演奏する機会に恵まれました。彼のアルバムを、2枚ぐらいいっしょにやりましたね。RICKYは強い人で、僕は後ろをついて行っただけ。彼のおかげで、音楽の世界でやってこられたようなものです。
その後またRICKYと離れてからは、六本木のキャヴァンクラブとかでビートルズのコピーバンドをやってました。永沼忠明くんたちとウィッシングで演奏していた頃、ビートルズ・コンベンションに出場するため、リバプールに2回行ったのはいい思い出ですね。ストロベリー・フィールドでの演奏が印象に残っています。外国のオーディエンスは反応がシビアだというので心配していましたが、気に入ってもらえたし、演奏していて気持ちよかったですね。リバプールは古い街並や家の形が昔ながらに残っていて、いい景色でしたよ。ロンドンは、信号機や走ってる車の色、形とかは違っても、東京の……銀座とかとそう変わらないな、って思ったんです。
1日4回とか6回のステージをずっとやり続けていると、行き詰まりを感じることがあるのです。それでも声をかけてくれる友だちがたくさんいるので、またステージに立つことも、なくはないんでしょうけど……まずは、練習してからです(笑)。
取材・文/鳥居一希
城間正博
ドラマー
1952年、大阪府出身。73年、バッド・ボーイズのドラマーとしてビートルズのカバー・アルバム『MEET THE BAD BOYS!』でデビュー。77年の解散から数年後にはREVOLVERに参加し、8年ほど在籍した。その後ウィッシングなどを経て、2009年1月現在は音楽活動から遠ざかっている。





