2009.03.06UP
昨日帰宅時に通りすがりの書店で求めたノーマ・フィールドという女性が書いた『小林多喜二 21世紀にどう読むか』(岩波新書)は熱いメッセージが込められたすばらしい本だった。小生の勤務先は多喜二を拷問死にいたらしめた築地警察署のすぐ側なのだが、『蟹工船』の文体にぶっとんだのは、恥ずかしいことにごく最近のブームにのってのことである。

畏友、荒俣宏が『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書)という現在状況に照らして予言的名著を刊行したのは、8年前である。ホラー、暴力、エロにことかかない<新世界>を荒俣が楽しそうに紹介していた。その時も荒俣にいわせればホラーとして読むことができる『蟹工船』にまだ手を出さなかった。
当時、プロレタリア文学はノワールである、という書をいずれ仕上げたいと思ったのは荒俣氏に触発されてのことだ。ジム・トンプスンの自伝的な初期長編(未訳)などはプロレタリア文学に他ならない。トンプスンは一時共産党員だった。
共産党といえば、アメリカはいざ知らず、イギリスに共産党が存在することはうかつにも知らなかった。社会上層部にシンパの多い国ことは、過去のスパイ事件のたびに認識させられたものだったが。党の存在を知ったのは、ロック・グループ=ソフト・マシーンの生き残り、車椅子のロバート・ワイアットを追う過程で得た情報である。ヴォイス・パフォーマーにしてドラマー、ワイアットも一時共産党に参加していた。
『小林多喜二』購入の際もらった「青春と読書」を開くと姜(はて? この字なにからもってこようか? と考えたら生姜=ショウガから引くのがベストであった)尚中=カン・サンジュン氏の連載「オモニ~母」があった。三益愛子+川口浩の『母』以来(いつの時代だよ)、母ものは作り手、書き手のズルさがみえ(泣かせ上手)、苦手中の苦手のジャンルで、カン氏までが母ものに手を出したことにショックを受けつつも、在日としての苦労が淡々と書かれていて好感を持ち、いろいろ感じ入ってしまった。

小生の中学時代、京都府を貫く国道9号線沿いに<朝鮮部落>といわれていた簡易集落があり、そこから通学していた同級生は、ソフトボール部のピッチャー兼キャプティンの剛球美少女で、野球部ながらずっと補欠だった小生に、彼女の短パン姿はいつもグラウンドでまぶしさ以上だった。京都府は当時共産党の蜷川虎三支配下にあったせいか、差別には敏感で彼女も過ごしやすかったと思いたいが、京都市では『パッチギ!』ワールド全開だからな。
カンさんを一度目撃したことがあり、とある創作料理店に向かうエレベーターで一緒だった。1Fで遠くから走るわれわれをボタンを押して待っていてくれたのだが、エレベーターは後から入ったものが先にでる。当然のように先にでたわれわれがお店には先につく。そして、残酷にもわれわれでカウンターの空きが埋まってしまったのである。善意が裏目だ。待ってくれたばかりに、カンさんは<申し訳ありません、お席が・・・>のお店の声を聞くことになってしまったのだった。いつか機会があればお詫びしたい。
