2010.01.29UP
1月23日(土)
女性作家アイラ・モーリーは、イギリス人の父と南アフリカ人の母を持ち、アパルトヘイト時代の南アで育った。後にアメリカ人と結婚し、カリフォルニアに移住した彼女は、女性と子供を支援するボランティア活動に従事したあと、ハワイと南アを舞台にした『日曜日の空は』(古屋美登里訳/早川書房/2009年)でデビューし、注目を浴びた。

筆者はこの小説を読みながら、デンマーク出身の女性監督スサンネ・ビアの世界を思い出していた。彼女は2002年の『しあわせな孤独』で世界的に注目されるようになった。この映画では、交通事故という予期せぬ出来事が、事故で半身不随になった男性と彼の婚約者、事故を起こした主婦と彼女の夫で病院に勤務する医師に思わぬ波紋を広げていく。
スサンネ・ビアは、この映画を作ったあとで、自分の関心と9・11以後の時代が深く結びついていることに気づき、それを強く意識して作品を作るようになる。予期せぬ出来事に翻弄されていく人々のドラマに、西洋と非西洋世界との境界が絡むようになるのだ。

『ある愛の風景』(04)では、デンマーク軍の一員としてアフガニスタンに派遣されたミカエルが、作戦中にヘリもろとも撃墜され、妻子や親兄弟が喪失感に苛まれる。ところが、そんな彼らのもとに、捕虜として想像を絶する体験をし、心に深い傷を負ったミカエルが帰還し、家族は厳しい試練に直面する。

『アフター・ウェディング』(06)では、インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人のヤコブのもとに、祖国の実業家ヨルゲンから寄付の話が舞い込む。だが、その話の背後には、ヤコブの人生を揺るがす秘密があり、彼は心を引き裂かれるような選択を迫られることになる。
スサンネ・ビアは、過酷な現実を容赦なく描き、突き詰めることで、深いエモーションを引き出す。そんな彼女の作品に魅了された人は、おそらくモーリーの『日曜日の空は』の世界にも引き込まれることだろう。ちなみに、このタイトルは、デューク・エリントンが作曲し、スタンダードとなっている<Come Sunday>から取られている。
ヒロインは、牧師の夫とまだ幼い一人娘のクレオとハワイで暮らすアビー。だがある日、夫婦は、クレオが交通事故で死亡するという悲劇に見舞われる。深い喪失感に囚われたアビーは、責めを負うべき人間に対して厳しい態度をとりつづけ、家族は崩壊する。だが、やがて彼女の苦悩は、南アの記憶と結びついていく。彼女の家族は、アパルトヘイトをめぐる対立によって引き裂かれ、彼女は母親から見離されたことが心の傷になっていた。
そこでこの物語では、ふたつの世界が対置されていくが、その表現が素晴らしい。たとえば、冒頭の部分に出てくるこんな表現だ。
「アフリカには良い月と悪い月がある。月が大地の恵みと人の運命――待ち望んだ首長の誕生、結婚の日取り、親類の来訪、雨の到来――を告げる。月食、黄色い月、弧が上にある三日月は不吉だ。飢え、不作、争い、病いが起きる。まわりにうっすらと暈――まじない師は「輪縄」と呼ぶ――のかかる月が意味するものはたったひとつ。死だ。アフリカの人たちは悪い月の運命を摘みとるためにはどんな努力も惜しまない。しかし、そこから地軸を半回転させた場所、このホノルルでは、夜は蛍光灯で明るく照らされ、天を見上げることもめったにない」
冒頭部分から、月を通して死が強調されているように、この物語では死が重要な位置を占めている。その死をめぐる視点は、イーストウッドの『インビクタス 負けざる者たち』で書いたことにも繋がる。南アに戻ったアビーは、祖母のもとで働いていたまじない師ビューティを探し、死者の声を聞こうとする。さらに、彼女自身が、人の命を奪うという事態に直面することにもなる。この物語もまた、死から生へと向かうのだ。
さらに、安全をめぐるこんな表現にも注目しておきたい。「目眩がする風景。回転遊具はもうない。それはどうして? 最近の遊び場は活気がない。あらゆるものが安全を基準に選ばれ、ボルトで固定され、錆が浮かない。柔らかな素材で舗装してあるので、だれが飛び降りても安全で、怪我をしない。それはいいことだとわたしも思う。でも、安全と引き替えに、回転遊具の面白さを引き渡したのだ」
現代社会をさりげなく象徴するこのような表現に、筆者はスサンネ・ビアと通じるものを感じる。たとえば、『ある愛の風景』の家族が、アフガニスタンの不安定な世界と繋がることがなく、予期せぬ出来事が起こらなかったとしたら、彼らは、身の回りの安全だけを確保しようとする社会のなかで、敷かれたレールの上を歩み、画一化された幸福を求めていたかもしれない。
『日曜日の空は』のアビーもまた、悲劇をきっかけに、安全を基準にした世界から飛び出し、死から生や愛へと戻っていく。ぜひともこの小説をスサンネ・ビアに映画化してほしい。
