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2010.01.15UP

ヴィジャイ・アイヤーの『Historicity』は本当に深い。

1月8日(金)

 インド系移民を両親に持つジャズ・ピアニスト/コンポーザーのヴィジャイ・アイヤー(Vijay Iyer)については、パキスタン生まれのギタリストのレズ・アバシ(Rez Abbasi)の新作『Things To Come』を取り上げたときに少し触れた。そのときにすでにアイヤーの新作『Historicity』も聴いていて、絶対に取り上げようと思っていたのだが、運悪くパソコンの深刻なトラブルに見舞われ、あたふたしているうちにタイミングを逸してしまった。

 ところが年が明け、当面の締め切りをクリアしたあとで、このアルバムのことが派手に甦ってくることになった。「Village Voice」のサイトを開いたら、このアルバムが2009年の"Jazz Album of the Year"の1位に選ばれていた。それからアイヤーのHPに行って、遅ればせながら栄冠がそれだけではないことを知った。

 「The New York Times」の"Jazz/Pop Album of the Year"でも1位、「National Public Radio, U.S.A.」と「Los Angels Times」の"Jazz Album of the Year"でも1位、「Chicago Tribune」の"Innovative Jazz Release of 2009"でも1位、「Poppmatters.com」の"Best Jazz of 2009"でも1位、「Jazz Times Poll」の"Jazz Album of the Year"では2位に選出されていた。さらに「all about jazz」のサイトを開いてみると、アイヤーのロング・インタビュー、9章からなるすごいボリュームの記事がアップされていた。

 正直なところ、筆者はここまで評価されるとは予想していなかった。アルバムそのものは、いくら評価されてもおかしくないほど素晴らしい作品だが、それがまともに評価されるとは限らない。『Historicity』は、ピアノのアイヤー、ベースのステファン・クランプ、ドラムスのマーカス・ギルモアという伝統的なピアノ・トリオの作品で、全10曲は、アイヤーのオリジナル4曲とカバー6曲で構成されている。一見しただけでは、斬新なところは見当たらない。ということは、作品の内容の深さが幅広く正当に評価されたということになる。そこが予想外だった。

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Vijay Iyer Trio『Historicity』

 『Historicity』の内容は本当に深い。アイヤーのオリジナルとカバーのセレクトと構成を見ただけでも、その深さを垣間見ることができる。1曲目は、アイヤーのオリジナルで、アルバムのタイトルにもなっている<Historicity>。この言葉には、「歴史的真実性」とか「史実性」といった意味がある。アイヤーの作品『Panoptic Modes』(00)に<History Is Alive>という曲が収められているように、彼は以前から歴史に対して強い関心を持っていたが、『Historicity』では、独自の視点から「歴史的真実性」が探求されている。

 2曲目には、その独自の視点のヒントがある。レナード・バースタインの『ウエスト・サイド・ストーリー』の<Somewhere>。このミュージカルの設定とこの曲の意味を思い出せば、プエルトリコ系2世の立場とインド系2世のアイヤーの立場が結びつくことだろう。アイヤーは、『Reimagining』(05)で、レノンの<Imagine>をカバーしているが、この<Somewhere>の意味はその<Imagine>とも響きあっている。

 さらに、3曲目では、そんな設定が現在にまで引き延ばされる。曲は、M.I.A.ことマーヤー・アルルピラガーサムの<Galang>。日本でも話題になったのであまり説明の必要はないと思うが、スリランカに生きる少数派タミル人に属していた彼女は、多数派シンハラ人とタミル人の紛争に巻き込まれ、イギリスへの亡命を余儀なくされた。そういう意味では、アイヤーの"Historicity"はディアスポラとも結びついている。

 あるいはここで、アイヤーと詩人のマイク・ラッドのコラボレーション『In What Language?』(03)を思い出しておくのも無駄ではないだろう。この作品は、『白い風船』で知られるイラン人監督ジャファール・パナヒの悲惨な体験が、インスピレーションの源になっている。9・11が起こる前の2001年、新作の公開にあわせて映画祭を回っていたパナヒは、香港からニューヨーク経由でモンテビデオとブエノスアイレスの映画祭に行こうとしていた。ところがJFK空港で移民局の人間によって別室に連行され、顔写真と指紋を要求されたが、彼はそれを拒否し、ベンチに繋がれたまま10時間も放置された。そして結局、強制的に香港に送還されることになった。その飛行機のなかで彼は、他の乗客たちから白い目で見られた。彼は、自分が泥棒でも、殺人犯でも、麻薬密売人でもなく、イラン人の監督だと叫びたかったが、"何語で"そうすればいいのかわからなかった。空港を舞台に、文化の異なる人々と様々なリズムが錯綜するこの作品のタイトルは、そこからとられている。

 話は『Historicity』に戻る。冒頭の3曲でテーマが明確にされたあと、4曲目では「らせん」を意味するアイヤーのオリジナル<Helix>に変わり、5曲目では、アイヤーの音楽的なルーツのひとつが確認される。ピアニストのアンドリュー・ヒルが60年代に発表した『Smoke Stack』から<Smoke Stack>。アイヤーは、ヒルから多大な影響を受けているが、そのことについては後に触れる。ちなみに、このアルバムのドラムスはロイ・ヘインズだが、今回のアルバムのドラムス、マーカス・ギルモアは、そのヘインズの孫にあたる。

 6、7、8曲目には、時代的な繋がりがある。スティーヴィー・ワンダーの『Talking Book』に収められた<Big Brother>、フリー系のサックス奏者ジュリアス・ヘンフィルの『Dogon A.D.』から<Dogon A.D.>、ロニー・フォスターの『The Two Headed Freap』から<Mystic Brew>。アイヤーは、ジャーナリストに指摘されるまで気づかなかったらしいが、この3枚のアルバムはすべてアイヤーが誕生した翌年の1972年に発表されている。アイヤーが、このジャンルも異なる3曲にどのような歴史的真実性を見出しているのかは後に触れる。

 9、10曲目はアイヤーのオリジナルだが、この2曲は、彼が初期の頃から一貫して独自の音楽性を追求していることを示唆する。まず9曲目だが、彼がこの曲をアルバムで演奏するのは3度目になる。『Architextures』(98)の<Trident>、『Panoptic Modes』(01)の<Trident 2001>、そして今回の<Trident 2010>。一方、10曲目の<Segment For Sentiment #2>は、デビュー作の『Memorophilia』に収められていた曲だった。

 アイヤーは、歴史に対する強い関心とジャンルを超えた音楽に対する関心から、カバーする曲を選び、並べているだけではない。「all about jazz」にアップされたロング・インタビューにはいろいろ興味深い発言が盛り込まれているが、彼が探求する歴史的真実性は、まずなによりもリズムに表れている。

 彼は、デューク・エリントンがチャールズ・ミンガス、マックス・ローチと組んで作り上げた傑作『Money Jungle』や、バップ以後の時代に、フリーに突き進むのではなく、音楽的な構造を深化させる道を選んだアンドリュー・ヒル、西洋のドラムスの代わりにアフリカン・ドラムを使うランディ・ウェストンのアフリカン・リズム・トリオ、まずリズムありきの南インド古典音楽カルナティックなどをヒントに、リズムに対する独自のアプローチを生み出し、そこから題材を再構築し、統一性のある作品を作り上げた。

 スティーヴィーの<Big Brother>も、ヘンフィルの<Dogon A.D.>も、ロニー・フォスターの<Mystic Brew>も、その時代性、社会性、政治性、黒人音楽の変革がリズムに表れている。アイヤーは、そうしたリズムを取り込み、反復を基調としつつ複雑な構造を生み出し、彼が感じる"Historicity"に結晶化させた。だからこのアルバムは、ジャズの伝統的なピアノ・トリオという枠組みをあっさりと飛び越え、ジャズというジャンルにも縛られない新しい音楽の表現として、われわれの想像力をどこまでも刺激する。

 レズ・アバシの『Things To Come』を取り上げたとき、筆者は、インドにルーツを持つアバシやアイヤー、ルドレシュ・マハンサッパ(Rudresh Mahanthappa)の音楽性を、アマルティア・センが書いた『議論好きなインド人――対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』を引用して説明しようとした。そのなかでセンが強調していたのは、異端を受容するようなインドの特性としての対話の伝統であり、この3人は、言葉ではなく音楽で対話し、異端を受容し、新たなパースペクティブを切り開こうとしていると書いた。

 アイヤーは、「all about jazz」のロング・インタビューのなかで、音楽を説明するのに"connect""dialogue""discourse"といった言葉を繰り返し使っている。3人のなかでアイヤーは、音楽的にはインド的な要素をあまり前面に出しているようには見えないが、そうした発言と『Historicity』を踏まえるなら、彼が最もインドの特性というものに忠実であるとみなすこともできる。

 そういう奥深い作品がまともに評価されるというのは実に素晴らしいことだと思う。そして、前回取り上げた映画『フローズン・リバー』の日本公開の経緯を踏まえるなら、このアルバムが日本でどれほどリスナーの想像力を刺激しているのか心配にもなる。

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大場正明(評論家)
1957年神奈川県横浜市生まれ。中央大学法学部卒。映画、音楽、書物その他の評論。著書・編著書は『サバービアの憂鬱』『CineLesson15 アメリカ映画主義』など。趣味は登山、写真、料理。
大場正明 HOMEPAGE http://c-cross.cside2.com
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