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2009.11.27UP

アリ・フォルマン監督のイスラエル映画『戦場でワルツを』

10月29日(木)

 アリ・フォルマン監督のイスラエル映画『戦場でワルツを』は、ドキュメンタリーとアニメーションを融合させた斬新な作品だ。その物語は、アリ・フォルマン自身の実体験に基づいている。

 2006年冬のイスラエル。主人公の映画監督アリは、旧友から26頭の犬たちに襲われる悪夢に悩まされている話を聞かされる。その悪夢は24年前、1982年に起こったレバノン侵攻、彼らが19歳で従軍した戦争の体験と関わりがあるらしい。そしてアリは、奇妙なことに気づく。彼には当時の記憶がまったくなかった。そこでアリは、失われた記憶を取り戻すために、世界中に散らばる戦友たちに取材をはじめる。

 この映画では、そんな記憶の旅がアニメーションで表現される。そこには、壮絶な戦闘やサバイバルだけではなく、海に浮かぶ巨大な女の裸体など、幻想的なイメージも盛り込まれている。

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『戦場でワルツを』 11月28日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー (c) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

 主人公のアリにはなぜレバノン侵攻の記憶がないのか。この映画は、個人的な世界を題材にし、主観的な世界を描いているように見えるが、それは必ずしも正しくない。アリ監督は、リサーチや取材から完成まで4年の月日を費やしたという。おそらくはレバノン侵攻そのものについても十分なリサーチをしたはずだが、あえて背景には触れることなく、このような視点と表現を選択した。そこがこの作品の興味深いところだ。

 82年のレバノン侵攻とは、イスラエルにとってどのような性格を持った戦争だったのか。ジャーナリストのハコボ・ティママンが書いた『レバノン侵攻の長い夏 イスラエルからの反省』(川村哲夫訳/朝日新聞社/1985年)には、いま起こり、進行しているレバノン侵攻に対する著者の考察が綴られている。

 イスラエル国民にとってレバノン侵攻は明らかにこれまでの戦争とは違っていた。「このときイスラエル国民の中には、戦争の性格が変わってしまったのを知って、恐らくは初めて不安の念にかられたものもいた」「レバノン侵攻は、イスラエルが自ら戦端を開いた最初の戦争だった。国民がこの事実にまったく気づかないなどということはありえない」

 その違いは、ユダヤ人であることとも深く関わってくる。「少なくとも過去二千年の間、ユダヤ人は他民族に集団的な損傷を与え、これにたいして罪悪感を抱き、恥じたことはまったくなかったとさえいえる。ディアスポラの間、ユダヤ人はいつも犠牲者だった。これまでの戦いは侵略にたいする自衛手段であり、ユダヤ人のアラブにたいするテロ行為はまったく突発的なものだった。しかも、ほとんどすべてのイスラエル国民から拒まれ、軽蔑された小グループの仕業だった」

 19歳のアリ・フォルマンは、戦友たちとそういう戦争に臨み、戦わなければならなかった。その結果、彼らは何を失ったのか。以下のような記述が参考になる。「イスラエル軍は人材や資源よりも、もっと重要なものを失っていた。信頼性を失ったのだ。この信頼性こそは、イスラエル軍の有能さの究極的な根拠であり、もっとも根強い理由だった。兵士たちは戦争の根拠と目的について、秘密はなにもないと確信していたが、それをくじいてしまったのだ。この確信があったから、兵士たちは自らの気力と想像力を惜しげもなく戦闘につぎこんできた。イスラエル軍の有能さは兵器が優れているからではなく、これら兵器が汚れていないことに根ざしていた」

 この戦争の記憶を失ったのは、アリ・フォルマンだけではない。イスラエルを代表する作家アモス・オズがこの戦争について書いた『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』(千本健一郎訳/晶文社/1993年)には、以下のような記述がある。

「そしてやがてレバノンからの撤退が始まり、引きつづいて記憶喪失症がひろがった。シャロンおじさんは辞任せざるをえず、参謀総長のラフルおじさんもまた野に下り、ベギンじいさんはひたすら身を縮めた」

「レバノン戦争のことは何もかも、みんなで忘却の穴倉に押し込めてしまった。約700人の兵士が戦死したのにたいして、敵の戦死者は数千にのぼった。また一万人以上の市民が犠牲になったといわれる。この悪事をしかけた側から見ても「罪のない人」が、である」

 さらに、この映画の視点は、以前このブログで取り上げたナンシー・ヒューストンの『時のかさなり』とも接点がある。この小説では、時間を遡りながら、四つの時代、四世代に渡る家族の物語が綴られる。そのうちの<第2章 ランダル、1982年>では、イスラエルを舞台にレバノン侵攻とこの戦争が招いたパレスチナ難民キャンプの大量虐殺事件=サブラ・シャティーラの虐殺が鍵を握り、最終章の<第4章 クリスティーナ、1944年〜1945年>では、ナチス支配のドイツへとさかのぼる。このふたつの章で、ユダヤ人は加害者と被害者になり、そのアイデンティティが掘り下げられていく。

 ハコボ・ティママンやアモス・オズが書いているように、ベギン首相は、アラファトをヒトラーに重ねたり、ホロコーストを引き合いに出すことによって、レバノン侵攻を正当化しようとした。しかし、多くの兵士や国民のなかでは、ふたつのものがそんなふうに関連付けられることはなかった。

 アリ・フォルマン監督の両親は、ホロコーストを生き延びたポーランド人だった。そしてこの映画のなかでは、臨床精神科医の親友が、アリのなかで両親がアウシュヴィッツにいたと知ったときの恐怖とレバノンで起こったサブラ・シャティーラの虐殺の恐怖が結びついていると分析する。つまり、被害者が加害者となってしまったことが、彼の心に深い傷を残しているのだ。

 ハコボ・ティママンは『レバノン侵攻の長い夏』の最後に、1982年9月21日の時点で、以下のように書いている。「世界中に散らばるユダヤ人だけが私たちのため、いまなんらかの手を打つことができると思う。私たちの道義心と文化的伝統の価値――これらの価値はいまイスラエルで、狭量さとイスラエル国粋主義のために踏みにじられているが――を維持している在外ユダヤ人は、ユダヤ人による法廷を開き、ベギンやシャロン、エイタン、さらにはイスラエル軍の参謀本部の全員にたいし、判決を下すべきだ。こうすることだけが、イスラエルを破壊している病から救いだし、おそらくはイスラエルの将来を守るための手段となりうるのだ」

 レバノン侵攻が教訓になっていれば、イスラエルや中東の未来も違ったものになっていたかもしれない。『戦場でワルツを』は、単なる反戦映画ではない。アリ・フォルマンとその戦友たちの記憶を頼りに、そんな重要な分岐点まで立ち戻り、見直そうとするところに大きな意味があるのだ。

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大場正明(評論家)
1957年神奈川県横浜市生まれ。中央大学法学部卒。映画、音楽、書物その他の評論。著書・編著書は『サバービアの憂鬱』『CineLesson15 アメリカ映画主義』など。趣味は登山、写真、料理。
大場正明 HOMEPAGE http://c-cross.cside2.com
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