2009.07.10UP
6月18日(木)
スパイク・リー監督の『セントアンナの奇跡』の試写を観る。第二次大戦を題材にした2時間43分の大作であり、スパイクには巨匠の風格が漂い始めた。
物語は、1983年のニューヨークで、定年退職を3ヵ月後に控えたある郵便局員が、切手を買いにきた男の顔を見るなり突然、射殺するところから始まる。この局員のアパートからは、第二次大戦中にイタリアから消えた貴重な彫像の頭部が発見される。
そこから物語は、1944年のイタリアへと遡る。郵便局員はかつて、アメリカの第92歩兵師団、黒人だけの部隊である"バッファロー・ソルジャー"に所属していた。

ジェームズ・マクブライドの同名小説を映画化したこの作品では、事件の謎解きがひとつの見所になる。壮絶な戦闘シーンも見応えがある。しかし、スパイクの関心は別のところにある。
昨年、スパイクが、『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』に黒人兵が出てこないといってイーストウッドに噛み付いたときには、この新作のことがちょっと心配になった。スパイクが黒人のスポークスマンであることを意識して映画を撮ったときには、いい作品にはならない。
スパイクが才能を発揮する作品には共通点がある。まず、黒人のスポークスマンという立場を完全に離れ、距離を置いた冷静な眼差しで世界を見渡している。そして、ロバート・アルトマンのように限定された空間を生み出し、鋭い洞察によってそれを社会の縮図に変えていく。
『セントアンナの奇跡』はその要件を満たしている。それ以上といってもいい。この映画で注目しなければならないのは、集団対集団のドラマが個人対個人のドラマへと移行していく構成だ。
映画の冒頭で、老いた郵便局員はジョン・ウェインの戦争映画をテレビで観ながら、「俺たちも戦ったぞ」と囁く。バッファロー・ソルジャーは、ナチスが待ち受ける最前線に送り込まれる。銃弾をかいくぐりながら川を渡る彼らは無線で援護を要請するが、白人の指揮官は、黒人兵のことを評価も信頼もしていない。彼らは無能な指揮官のせいで、味方の砲弾を浴びることになる。一方ナチスは、セクシーな女の声で、ドイツ軍は黒人を差別しないというプロパガンダを繰り返す。
結局、4人の兵士だけが川を渡ることに成功する。彼らは、アメリカのディープサウスで訓練を受けている頃に、苦い体験をしている。地元のレストランで食事をしようとしたところが、黒人であるために入店を断られる。店内では白人のアメリカ兵だけではなく、ドイツ兵の捕虜たちもテーブルに座っている。黒人兵たちは、銃にものをいわせなければ、店にも入れないのだ。
ところが、4人の兵士たちが、負傷したイタリア人の少年を助け、トスカーナの村にたどり着く頃から、人種をめぐる集団のドラマが個人のドラマに変化していく。村のイタリア人たちには、黒人に対する差別意識がない。黒人兵たちは、異国で安らぎを得ると同時に、自分たちは何のために戦っているのかという疑問がもたげてくる。一方では、イタリア人のレジスタンスやドイツ兵を単純に敵味方に分けられなくなる。レジスタンスのなかに裏切り者が潜み、冷酷に見えるナチスのなかに小さな命を救おうとするドイツ兵が潜んでいるからだ。
スパイクは、『インサイド・マン』で完全犯罪をひとつの装置として自己と他者の関係を掘り下げたように、この新作でも戦時下の緊迫した状況を装置として自己と他者の関係を掘り下げている。
