2009.07.02UP
6月10日(水)
ベルンハルト・シュリンクの『帰郷者』(松永美穂訳/新潮社/2008年)を読了。
シュリンクのベストセラー『朗読者』(松永美穂訳/新潮社/2000年)を映画化した『愛を読むひと』は、とても素晴らしい作品だった。まずなんといっても原作に対するアプローチが潔い。一人称で描かれた物語を映画化すれば、ナレーションを使いたくなるところだが、この映画はまったくナレーションに頼っていない。それでも原作の深みはそこなわれていない。
さらに、映画独自の表現も印象に残る。たとえば、マイケル(原作ではミヒャエル)とハンナがふたりだけで旅行するところ。映画には、ハンナが教会の長椅子に座って、喜びや悲しみなど様々な感情が入り混じった複雑な表情を見せる場面がある。その表情の意味は、マイケルが彼女の過去を知ることによって明らかになる。

それから、ハンナに判決が下される場面。原作ではこのように表現されている。「ハンナは自分がどう見えるか知っていたのだろうか。それともひょっとしたら、そういうふうに見せたいと思ったのだろうか。ぼくにはわからない。彼女は黒いスーツに白いブラウスという服装だったが、スーツの形や、ブラウスに合わせたネクタイなどが、まるで制服のように見えた。ぼくは親衛隊で働いていた女性たちの制服を見たことはない。しかし、ぼくも、他の傍聴人も、制服を目の当たりにしているような気がした」
映画では、ハンナの服装について異なる解釈が加えられているように思う。おそらく彼女は、市電の車掌の制服を意識してそういう服装を選択したのだろう。そして、原作の彼女は主人公の方をまったく見ずに前を向いているが、映画の彼女はマイケルを見る。映画の作り手が原作をよく読みこんでいるから、こういう細やかな表現ができるのだろう。
シュリンクが2006年に発表した『帰郷者』は、本格的な文芸小説としては『朗読者』以来、11年ぶりの作品となる。『朗読者』を読み、『愛を読むひと』を観た人は、この小説も読みたくなるだろう。

『帰郷者』では、過去の歴史が『朗読者』以上に深く掘り下げられているが、小説の完成度という点では少し劣っているように思う。その原因は明らかだ。『朗読者』や『愛を読むひと』では、主人公がハンナと向き合うことと過去の歴史と向き合うことがひとつになっていく。しかし、『帰郷者』では、物語の流れやモチーフと掘り下げようとするテーマにズレがある。
主人公は、古ぼけた小説の断片に、収容所から妻のもとに戻ろうとする男の物語を見出す。『オデュッセイア』を下敷きにしたその物語は、戦場に消えた父親の秘密を解き明かす手がかりとなる。やがて主人公は、父親と向き合うために、愛する女性を残して旅立つ。この小説には、帰郷というモチーフがあり、それは男と女を結びつける。
そしてもう一方では、主人公と父方の祖父の対話、主人公の教授資格論文、主人公と彼の元恋人の息子との対話、主人公と死んだはずの父親との対話を通して、歴史をめぐる善と悪の関係が掘り下げられていく。こちらは、男と男を結びつけていく。
この小説では、そうしたふたつの要素が噛み合っていない。だから、主人公の人物造形が曖昧になってしまう。しかしそれでも、後者の部分は読み応えがあった。
